「個別最適な学び」と「協働的な学び」。これらは,令和の日本型学校教育が目指す中核的な理念として,今や教育界において揺ぎない方向性を示しています。そして,その理念は,具体的な制度設計の段階へと進んでいます。中央教育審議会が令和7年9月25日に取りまとめた「論点整理」では,次期学習指導要領に向けた今後の検討の基盤となる基本的な考え方として,
生涯にわたって主体的に学び続け,多様な他者と協働しながら,自らの人生を舵取りすることができる,民主的で持続可能な社会の創り手を「みんな」で育むため,
の三つの方向性を踏まえて議論を行うことが示されています。
しかし,国が掲げる教育理念と学校の現実との間には,看過しがたい乖離が生じています。これまでの教育は,すべての児童生徒に均等な知識や技能を提供する,いわば『幕の内弁当型』の一斉授業を基本としてきましたが,今や多様化した教室の実態にそぐわず,機能不全に陥っています。一方で,国の理念はあまりに洗練されすぎていて,現場の教員にはそのまぶしさが重圧となり,目を背けたくなっています。
国の理想と,働き方改革すらままならない学校の現実。その狭間で,私たちはどうすれば子どもたちに実効性のある学びを届けられるのか―多くの教員が,同じ葛藤を抱えているのではないでしょうか。
本稿では,この理念と現実の乖離構造を踏まえた上で,私自身が取り組んでいる二つの授業実践を,一つの現実的な解として紹介します。
中央教育審議会の「論点整理」は,今後の教育が向き合うべき児童生徒の多様性について,極めて重要なデータを示しています。例えば,標準的な公立中学校の40人学級では,「家にある本の冊数が少なく学力の低い傾向が見られる子供」が15.7人(39.2%)もいます。これに加えて,「不登校」と「不登校傾向」にある子供を合わせると6.8人(16.9%),「学習面又は行動面で著しい困難を示す子供」が2.2人(5.6%)存在することが示されています。これらの数字が示すのは,クラスの半数近くが,学習を進める上で何らかのハンディキャップを抱えているという現実です。これはもはや「個人差」ではなく,これまでの学習指導の前提そのものが覆されたことを意味します。
このような教室において,全ての生徒に同一教材,同一ペース,同一方法で提供する『幕の内弁当型』の一斉授業が破綻をきたすのは,必然です。全員に同じ弁当を配り,「さあ,どうぞ」と言っても,美味しく食べられる子ばかりではないのです。ある生徒にとっては既習の退屈な内容であり,ある生徒にとっては理解の前提を欠いた苦痛な時間となる。この「一斉」という形式そのものが,授業からの疎外を生み出す温床となっています。では,国が打ち出す方針は,この構造的な課題に有効に機能し得るのでしょうか。
国が掲げる「個別最適な学び」という理念は,目指すべき方向を正しく示しているように思います。しかし,その議論は,しばしば現場の現実から乖離した理想論に陥りがちです。
「論点整理」もまた,教師と子供双方の「余白」の必要性や,ICT活用が「主体的・対話的で深い学び」につながっていない課題を認識していることがわかります。それにもかかわらず,その解決策の議論は,依然として「質の高い教師」といった個人の資質に依存したり,新たな制度の導入に終始したりする傾向があります。
しかし,現場で日々奮闘する我々にとって真に必要なのは,さらなる理念の上塗りや複雑な制度論ではありません。多様性という現実を直視し,多忙を極める中でも持続可能な形で実践できる,具体的で現実的な「方法論」なのです。精神論や対症療法ではなく,明日からの授業をどう変えるかという,地に足の着いたアプローチが求められています。
かかる問題意識のもと,私が自身の英語の授業で体系的に実践しているのが,『ビュッフェ型』授業モデルです。これは,教師が提供する単一の完成品「幕の内弁当」から,生徒が主体的に学びを選択する「ビュッフェ」へと,学習の主導権を移譲することを核としています。これは決して奇をてらったものではなく,むしろ,中央教育審議会が目指す「子供自らが自己の学習を主体的に調整すること」(同p.24)を,現実の授業レベルで具現化するための,とても地味な試みです。
では,多忙を極める学校現場で,教師はどのようにして,このような生徒に選択させる授業をデザインすればよいのでしょうか。私は,その挑戦のパートナーとして,生成AIを活用しています。例えば,単元全体の教材研究の段階から,私は生成AIと「壁打ち(生成AIと対話することで,自分の考えを深めたり,アイデアを整理したりすること)」を重ねます。単元目標やパフォーマンス課題,評価規準やルーブリックに至るまで,AIとの対話を通じて練り上げる。そうしたプロセスを経て,授業のあり方そのものを見直すのです。
本稿では,こうしたアプローチから生まれた具体的な授業デザインについて,紙幅の都合上,ここでは二つの実践のみを紹介します。
変革の第一歩として私が見直したのは,これまで最も画一的にならざるを得なかった「単語指導」です。本年度から教科書が改訂され,全国の英語教員から悲鳴に近い声が聞こえてきます。それは,「新教科書の単語が多すぎて,とても対応できない」というものです。これは,まさに全国の英語教員の前に立ちはだかる,最も高く,分厚い壁と言えるでしょう。
この圧倒的な物量を,従来通りの "Repeat after me." で乗り切ろうとすればどうなるか。想像に難くありません。生徒は受け身のまま飽きてしまい,教師はただ単語をなぞるだけで疲弊する。貴重な授業時間が,非効率なインプット作業に浪費されていくのです。
そこで私は,単語の学習をすべて生徒に「預ける」という決断をしました。もちろん,それは無責任な「丸投げ」を意味しません。生徒一人一人が,自分が学びの主役となれるよう,その土台を整える必要がありました。そこで生成AIと対話を重ね,AIに設計・開発してもらったのが,生徒に多様な選択肢を提供するための単語学習アプリ,「もぐもぐ単語(通称:もぐ単)」です。「もぐもぐ単語」という名称もAIが提案したうちの一つで,「もぐもぐと単語を食べていく」イメージがあります。
この「もぐ単」こそ,私の提唱する『ビュッフェ型』を具現化したツールです。添付した画像をご覧ください。生徒はまず,自分が学びたい学習範囲(Unit, Part)を自由に選択します。さらに表示フィルター機能を使って,「重要語のみ」,「まだ覚えていない単語のみ」といったように,自分の目的に合わせて学習内容を絞り込みます。
学習方法も一つではありません。表示切替機能により,「英語だけ」を表示して日本語の意味を答える練習や,逆に「日本語だけ」を見て英単語のスペルを覚える練習が可能です。もちろん,音声再生機能でネイティブの発音を何度でも確認できますし,テスト機能で「英→日」,「日→英」を選び,習熟度をチェックすることもできます。まさに,生徒はビュッフェで好きな料理を皿に取るように,多様な選択肢の中から,自分に必要なものを,自分に合った方法とペースで学んでいくのです。
このアプリを導入した後の教室の風景は,一変しました。生徒たちはイヤホンをつけ,ある生徒は紙のノートに単語を書き出しています。ある生徒はクイズ機能で何度も反復練習をしています。画一的な学びの呪縛から解放された生徒は,はるか先のUnitの学習をしている生徒がいれば,英検の単語学習をしている子もいます。単語指導という一点突破から始まったこの実践は,生徒の学びにおける主導権を,教師から生徒自身へと移譲する大きな一歩となりました。
次に紹介するのが,音読指導の変革です。音読は,英語の発音やリズムを体得しながら語彙や文構造を定着させる効果的な活動です。さらに,教科書で学んだ表現を,自分事として「使える」ようになるための橋渡し的な活動でもあります。
これまでは,音読も "Repeat after me." が当たり前でした。近年,デジタル教科書が普及し,生徒は各自の端末で練習が出来て便利になりましたが、使える機能が限られているという面もあります。
そこで,ここでも生成AIと対話を重ね,スローラーナーからファストラーナーまで,全ての生徒が主体的に取り組める音読アプリ「音読クエスト」を開発しました。このアプリの核は,学習活動そのものを『ビュッフェ型』にすることにあります。
まず,生徒は自分の学習目標や習熟度に合わせて,五つの練習モードから自由に練習方法を選択できます。
| モード名 | 主な目的 | 具体的な活動内容 |
|---|---|---|
| 1 聞く | 正確な音声(発音・リズム・イントネーション)のインプット |
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| 2 なりきり | 対話の没入感と表現力の向上 |
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| 3 スピード | 流暢さ(Fluency)と達成感の醸成 |
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| 4 穴埋め | キーワードの定着と文脈推測力の育成 |
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| 5 頭文字ヒント | 記憶の再生(リトリーバル)と暗唱への挑戦 |
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活動が始まると,生徒は「穴埋め」音読から目標タイム付きの「暗唱」まで,その日のゴールを自ら設定し,ゲーム感覚で練習に没頭します。クリアできた生徒から私のチェックを受け,合格すれば音読を録画・提出し,AIドリルなど自分に必要な学習へと進んでいきます。動画の提出は,家から行ってもかまいません。
この実践の狙いは,単なる音読の効率化ではなく,生徒が「今日は何を,どう学ぼうか」と自ら学びを選択・実行することで「自己調整能力」を育むことにあります。
単語指導と音読指導。これら英語学習の根幹に関わる二つの領域での変革は,画一的な『幕の内弁当型』から生徒主体の『ビュッフェ型』への転換が,決して大掛かりな改革を待たずとも可能であることを示唆しています。
「個別最適な学び」という国の理念は,時にそのまぶしさで,日々の実践に追われる現場の教員を立ちすくませます。あまりに理想が高く,「教室の現実」とのギャップに,どこから手をつければいいのか分からなくなってしまうのです。
本稿で紹介した単語学習や音読指導における実践は,そうした壮大な理念をそのまま体現するものではありません。全国で議論されている「自由進度学習」のような,学習システム全体を刷新する本格的な変革とも一線を画します。むしろ,これは学習パターンを少しだけ増やして選ばせるという,実に地味で,しかし極めて現実的な取り組みです。
もちろん,状況によっては「自由進度学習」によって能力を最大限に伸ばしていくことは素晴らしい選択肢です。しかし,多くの学校にとって,そのハードルはあまりにも高いのが実情ではないでしょうか。
今の教育界に欠けているのは,壮大な理想論でも旧態依然とした授業でもなく,理想と現実の狭間を埋める,地に足の着いた実践に関する議論です。
私のこの地味な実践は,生徒たちに変化をもたらします。実際に,生徒からはこんな声が届いています。
【生徒の声A・単語アプリ】
「漠然とテストモードを繰り返していたら,なんとなく意味が分かってきて,気付くと以前より単語学習の苦手感がなくなっていました。」
【生徒の声B・音読アプリ】
「今までは人前で英語を読むのが恥ずかしかったけど,『なりきり音読』で練習したら自信がついて,ペアで練習をするのも楽しくなりました。」
「苦手意識」が「自信」へ,「恥ずかしさ」が「楽しさ」へ。彼らの言葉は,「自分で選べる」という小さな変化が,学びの質そのものを変容させる力をもつことを証明しています。
「明日から授業をどう変えるか?」という問いに対し,すべての教師が壮大な変革を語る必要はありません。「まずは選択肢を一つだけ増やしてみる」という現実的な答えから始めるので十分です。
この『自由進度学習未満』とも言えるささやかな選択肢の提供は,ほとんどの学校で今日からでも始められる,最も現実的な「個別最適な学び」への第一歩です。この地味な一歩が,生徒の中に「自分で選んで学んでいいんだ」という主体性の芽を育み,受け身の学習者から自律した学習者へと変えるきっかけとなります。
理想の頂をただ見上げるのではなく,今いる場所から踏み出せる一歩を示すこと。そうした現実的な実践の議論と共有こそが,現場の教員が欲しているものなのです。