教育改革のとりくみ 目次

幼児期から児童期へ向かう子供たちの問題点
〜北米と日本の比較〜

セントジェームス幼稚園園長
大高 力夫

1 はじめに

 今日の私たちは,どこの国に住んでいようとも,経済,文化,環境面において,大きく影響を受けあっている。

 新型のインフルエンザが短期間に世界中に広がっていった事実をみても,人の移動が国から国へと簡単に行われ,もはや世界は一つに繋がっていると認めないわけにはいかない。

 このような世界のボーダーレス化に拍車を掛けたのが,インターネットの発達である。

 情報の入手が容易となった事で,そこに居ながらにして,世界の裏側の様子まで瞬時にそして正確に入手する事が可能となった事も,人の移動を活発化した大きな要因と言える。

 人の移動は,観光などの短期的なものと永住と言った長期的なものに分けられるが,私が住むカナダの西岸部バンクーバー市(2010年の冬季オリンピックの開催予定地で,最近日本でもよく耳にするようになった)は,古くから日本からの移住が盛んで,近年では集団の移住は減ったものの,カナダ人と国際結婚をした日本人や,移民の子孫である2世,3世が多く暮らし,彼らの子供たちも数多く生活している。

 バンクーバー市近郊に暮らすそのような,日本的な幼児保育を望む子供たちの為の施設を運営し,今年で15年目になる。

 カナダでは,国の指導よりも日本での県に当たる州の独自性が強い為,幼児を対象とした施設の運営を行う場合は,すべて州の許認可が必要となる。

 バンクーバー市は,ブリティシュコロンビア州(以下B.C州)に属している為,許認可を得る場合はすべてこの州の基準にあわせる事が必要となる。

 B.C州の幼児施設は,対象年齢や保育時間などにより,大きく分けると,プリスクール(日本の幼稚園に相当)とデイケア(日本の保育園に相当)に大別される。

 日本で言う,キンダーはエレメンタリースクール(小学校)の中にあり,グレード1(1年生)になる前の1年間をそこで過ごす事となる。

 これは,あくまでもB.C州の分け方であり,州が変われば制度も変わるが,国土面積が日本の26倍もあり,公用語も英語とフランス語の二つを用い,世界各国からの移民により形成されたカナダの場合は,日本とは歴史にも文化面でもかなりの違いを持つ国の為,このような州ごとの独自の判断,政策が基本となっている。

 私の運営する施設は,対象年齢が3歳,4歳の為(5歳児はキンダーへ上がる),州の認可上プリスクールの扱いとなる。

 子供への対する保護の面は日本とは比べ物にならず,無認可の施設は基本的には存在しない。

 さらに,13歳以下の子供を一人残して両親が家を留守にしたり,車の中に子供だけを置いて離れたりすると,逮捕される法律がある。

 もちろん,アビューズについてはかなり厳しい規則があり,たとえ両親でも公衆の面前で子供のお尻を叩いた場合は罰せられるような環境にある。

 

2 州内のプリスクールについて

 B.C州内のプリスクールの基準は,年齢(3,4歳)保育時間(1日最長5時間),施設の規模(子ども一人当たりの占有面積),先生の数(子供10人に対し先生1人),その他,プレーグラウンド(園庭)の規模,おやつの回数や内容,テーブルの消毒の仕方など事細かな規則があり,直接的な指導は各シティ(市)のヘルスデパトメント(保健課)が行う。

 施設の内容やアビューズの面ではかなり厳しい規則があるが,保育方法についてはこれと言った基準が無いのが特徴である。
これは,古くからの移民国家の文化的特長であると推測されるが,市内のプリスクールでは,モンテスソリー,シュタイナーをはじめとする,沢山の手法での保育が行われている。

 因みに,私はイタリアの保育方法である,レジオ・エミリア保育法を学び,州のECEライセンス(保育士免許)を取得したので,保育の中にレジオ式の方法を取り入れている。

 州内の一般的なプリスクールは,午前中2.5時間(3歳児)と午後2.5時間(4歳児)に分けているところが多い。
もちろん,朝から5時間通しの所もあるが,あまり一般的ではない。

 北米のプリスクールの保育方法は,テーブルセットアップ方式が多い。
これは,モンテスソリーやシュタイナー方式でも同じような形式で,開園前に,施設内のテーブルに園児が興味を引きそうな素材を指導者が並べておき,登園してきた園児達は,ここに好きなテ−ブルを移動し自由な発想で遊ぶ事になる。
もちろん,指導者が意図した遊び方でなくても,指導者は特に指導は行わないのが大きな特徴といえる。
紙面の都合があるので,詳しく述べる事は避けるが,このように州内のプリスクールは,その施設ごとに異なった保育方法で保育を行っているのが特徴的である事が分かる。

 さらに,対象となる子供たちも,指導する先生もそれぞれの文化的背景が異なる為,日本の様に統一の基準による保育が発達しないのはある意味当然のことかもしれない。

 私の様に,北米の色々な教育方法に興味を持ち,多くの異なったプリスクールやデイケアに研修に行かなければそのような実態に触れることはないのかも知れない。

 私が実際に経験した施設の中でも,かなりイギリスの文化に近い保育をしていると感じた施設では,やはりこの施設の中心的指導者がイギリスからの移民であった。

 この指導者の場合,私同様北米の保育を学んで州のライセンスを取得してはいるものの,自分が幼児期を過ごしたイギリスの文化が身についている為,子供たちへの指導がイギリス的になっている。

 同じように,中国やインド等のアジアからの出身の指導者の場合は,その国の言葉が壁に張られたり,同じ言葉を母国語とする親が子供を通わせているのが実態である。

 もちろん,カナダで生まれた移民の子供たち2世,3世ともなると,母国語が英語となる為,あえて英語以外の言葉が使えるプリスクール選びをしていないのももう一つの特徴と言える。

 私の場合も自身が日本生まれである為,日本的な特徴を生かした幼児教育を行っている。

 私の施設も大きな特徴は,ジャパニューズイマージョン(日本語保育)であり,施設内では日本語が使われ,指導者も日本の保育士免許と経験を持つ者(B.C州のライセンスも保持)を雇用している。

 保育内容は,日本の保育の特徴である集団の中から個人を伸ばすような保育方法を取っており,日本のように母の日や子供の日を祝う,行事を追いかける保育に加え,レジオ式のアートなどを取り混ぜているのが特徴と言える。

 施設に通う子供たちは,ほとんどがミックス(日本ではハーフという言葉を使うが,クォーターやもっと複雑な混血の為このように呼ぶ)の子供たちで,母親又は父親が日本人(又は,祖父母が日系人)であり,日本語が理解できることが原則である。

 私は,日本語教師である為,この子供たちにも卒園後日本語を教える機会があるが,私の生徒で一番多く言葉を話す子は5ヶ国語で,すべて流暢に操る事が出来る。

 もちろん,私の施設では日本語と英語の最低でも2ヶ国語は理解出来る子供たちが対象となっている。

 

3 最近の日本の幼児施設

 幼児教育に限らず,小,中学校における教育の方法は日々変化をしている。
日本を遠く離れていると,いくらインターネットで情報を得ても,現場を肌で感じる事ができない為,毎年のように,日本に出かけ多くの幼児施設を見学し,運営者や指導者と意見交換をするようにしている。

 自分の施設の保育方法が正しいのかどうか,もっと園児たちの為にすべき事は無いのかと言った疑問には,やはり現場を訪れることが一番の解決策と考えている。

 ここ最近いくつかの園を廻って感じるのは,最近の日本の幼稚園,保育園の独自性である。

 少子化が進む中,園児数の減少は経営に直接影響を与えるとして,園児集めの為に,英語を取り入れたり諸外国の保育方法を学び,他施設との差別化を図っている園がとても増えてきたように感じる。

 今回は,フィンランドの保育方法を取り入れている園を見学したが,指導者をフィンランドまで研修に行かせたり,かなりの力の入れようである。

 以前から,パートタイム的に英語を保育に取り入れた園はかなりの数見てきたが,さらに一歩先を読んだ保育展開が進んでいるように感じるが,これらは,全て私立の園の状況である。

 一方,公立の園に置いては,園児数が減ったところは直ぐに閉鎖される実態があると聞く。

 実際に,過去に見学した公立の園に再度見学を依頼した所,その園はすでに閉園になっており,今年度は,その市だけでも新たに3か所の幼児施設が閉園されると言う。

 このような,私立と公立の現状は全国的な現象らしく,いくら不況と言えども,この国の将来を担う子供達の保育環境が悪化するのは,同じ日本人として残念でならない。

 これでは,益々保育の差別化が進むが,私の暮らす北米とは違い,北は北海道から南は沖縄まで同じ基準,同じレベルの保育が行われていたものが,施設毎に変わるとしたら,問題は出てこないのだろうか。

 長い歴史に裏付けされた方法が文化であるとしたら,今行われている幼児教育が今後の日本に置いて変化を遂げ日本の文化と呼べるようになるのだろうか。

 

4 日本の施設とカナダの施設の共通の問題点

 今回,日本を訪れた時に保育関係者から何度か聞いた言葉に,幼小中一貫プログラムと言う言葉がある。

 これは,幼稚園,小学校,中学校のそれぞれの分岐点における子供達が,それまでの環境から異なった環境に問題なく適応するように,それまで交流のなかった各学校の指導者が相互理解を深める為のプログラムだと言う。

 詳しく聞いてみないと,内容はよく理解できないが,今回のプログラムが作成された背景には,幼稚園が終わって小学校に上がった新1年生が,先生の指導について行けないで,授業中でも教室内をうろつくとか,幼稚園や保育園で本来学ぶべき,人の話を聞く姿勢や集団生活のルールを身に付ける事無く,幼児施設を卒園して就学して来る園児たちの共通の問題が生じたからだと言う。

 これを聞いて思ったのは,カナダでもまったく同じ問題があり,私の子供の通うエレメンタリースクール(小学校)では,最近になり大きな問題として捉えられて居た。

 この問題を解決すべく開かれたペアレントナイト(夜に行われるのでこう呼ばれている)に出かけた所,特にキンダーの生徒の落ち着きの無さが説明され,父母と教師との間で意見交換がなされた。

 話を聞いていて気付いたのは,日本と同じようにエレメンタリーの先生は,プリスクールやデイケアでどのような指導が行われているのかを知らない場合が多く,各種多様な保育方法で指導されてきた幼児たちが,エレメンタリーという同じ箱の中に収められた時に,まったく同じ形や同じ色で無いのは,私の様に沢山の施設で研修を積んだものには当たり前に見えるのに,どうして今更このような事が問題になるのが理解出来ないでいた。

 北米の前例を見ていた私が,日本の現状と問題点を聞いた時に直ぐに思ったのは,日本も同じような問題が出ているのだという思いである。

 これまでの私の理解では,私立公立の違いはあれども,母国語が同じ日本の場合は,地域性こそあれ幼児教育の基本は同じだと理解していた。

 極端な話,私が45年前に受けた教育と現在の教育はあまり違いがないと思っていたのだ。

 もちろん,その間何度かの教育改革や改定があり,今回も新,新かどうか知らないが新しい指針が示された資料を入手した。

 私が考えていたよりも,日本は遥かに先を行き,北米並みに施設ごとの差別化が進んだと言うのだろうか。

 これまで,日本人の専門家が書いてきた書物には,日本の幼児教育の画一性が指摘され,自由な発想の北米や北欧の保育方法が最高と言う表現が見られたが,それを目にするたびに疑問を感じて来た。

 専門家が研究したものに,異論を唱える程のデーターは無いが,北米の地で実際に幼児施設を運営し保育に携わる経験から言えば,日本の現状は現実に起きている問題と,解決に向かう方向が必ずしも一致しているとは言いがたい面があるように思えてならない。

 幼小中一貫プログラムは,始まったばかりのプログラムなので,今後の進展に注目し期待するとして,この問題に関して,現実に可能な他の対応を考えた場合,指導者の質の向上もあげられるのではないだろうか。

 つまり,現状の施設では園児集めがその大きな目的がどうかはともかく,各々の幼児施設で行われている保育の違いを良しとして運営を進めながら,一方ではその差別化から生じる問題が,子供だけの問題として捉えている点こそが一つの問題であり,指導する側,受け入れる側の問題も良く考慮すべきでは無いかと言う疑問である。

 私は,これまでも自身のプリスクールのウェブサイトなどを通じて提唱してきた事だが,指導者の海外研修や国内研修の機会をもっと増やすべきだと考えている。

 保育士と呼ばれる彼らも,教師と呼ばれる人達も同じような大学や専門学校を出て,同じ様な内容の授業から身につけた知識だけで,一つの保育施設や学校に就職する。

 公立の小学校の場合は転勤もあるかもしれないが,私立の小学校や幼児施設では一度職に就けば,退職までその施設に従事することになる。

 勢い,そこでは先輩のやり方やその施設の伝統が重要視され,同じ事が繰り返されるのが常である。

 特に幼児教育の場合,お餅つきや七夕など日本の伝統的文化的な行事を追いかけての保育となる為に,どこの施設でもどうしても同じ事の繰り返しとなる。

 もちろん,同じ市内に在っても横の交流も無いので,自分の施設以外の保育方法は知る由も無い。

 現実には,日本中の施設の指導者はこのような現状であるのに,一部の考えの違う経営者や英語が得意な運営者が居る施設では,日本の他の施設の保育を学ぶ事や自分の施設の指導者の経験を増やす事よりも,海外の保育を取り入れることに目を向けてしまう。

 結果として,本来子供たちに経験を与える者としての指導がおろそかになり,集団生活に適応した落ちつきのある子供を育てる時間が取れない為,幼児施設を卒園し,小学校に上がってから机に座っていられない子供達を作り出しているのでは無いだろうか。

 教育者となる者は,沢山の経験から学び,それを確実に伝える事が出来る人間で無ければならないと思うのだがいかがだろうか。

 さらに具体的に言うと,机上の知識よりもっと多くの経験を積んでから,保育の現場に出る事と,現場に出た後も,色々な場所に置いて異なる体験をすべきだと思うのである。

 カナダの保育士のライセンスを得るには,かなりの時間数と実習が必要で,学校卒業後も最低500時間の経験を経た後で無いと,ライセンスの申請が出来ないし,ライセンスの更新は5年ごとで,その間に多くの異なる種類の研修に出席した証明が無いと更新が出来ない。

 

5 一つの結論として

 前記したカナダのエレメンタリースクールの教師も,頭では理解していても各プリスクールやデイケアの実態を把握してはいなかった事が一つの問題だったが,現代カナダでは,日本と違い,毎日の様に世界中から移民の子供たちが入国してくる事実があり,このような問題は常に繰り返される,もはや日常的な実態であるとも言える。

 しかし,なぜこの時期にこのような問題が出てきたのかと言えば,多くの事柄が考えられるが,州の幼児教育に関する意識がこの10数年間で大きく変化した事も一つの原因と言える。

 私は年齢の隔たる息子を持つが,一番上が23歳,次は20歳,次いで10歳と5歳のそれぞれ合計4人である。

 長男,次男をプレスクールやエレメンタリーに通わせて居る当時,その施設の運営者やエレメンタリーのプリンシバル(校長先生)に呼ばれ,何度も言われた事は『もっと,家でも子供たちに英語を使うようにしなさい』である。

 当時は,生徒が先生の指示に従えないのは,言葉の理解が出来ない事が一番の原因とされていたので,母国語の維持よりも英語の取得を最優先にすべきと言う風潮があったのだ。

 しかしこの10数年間でそのような意識も変わり,今は,母国語の維持と英語やフランス語などの公用語の取得は並行して行われる事が良いとされている。

 現実に10歳の三男の時は,小学校で日本語を紹介する機会があり,多くの人たちと共通の時間を持つことが出来たし,5歳児の四男が通うキンダーでも,今回の問題は,新しく変わった先生の経験不足と言う意見が父母から出て居る。

 最後に,海外から見た祖国日本の姿として自分の目に映るものは,日本社会の変化である。

 毎日そこで暮らす者には気付かない物が,見えるとしたら,それは政治の不安定化,少子化,格差社会などの社会的な変化により,子供達に本来求められる環境が作られていない現状である。

 生まれながらにパソコンやゲーム機がある子供達の実態を研究し,将来の日本を担う子供達を教育することが大切では無いだろうか。

 日本の将来は,今この瞬間の幼児,児童への教育に係ってる事を認識し,今こそ教師の実力を発揮する時とは言えないだろうか。

 私達,幼児,児童の教育に携わる者が,強い使命感と勇気を持って指導に当たる事が,将来の日本をすばらしい方向に変えて行くと信じている。

 日本を遠く離れた海外から,日本の教育の現場を思い教師の方々の活躍を期待しながら筆を置く事とする。

 

(大高 力夫氏プロフィール)
1959年生まれ カナダ在住。
イタリアのレジオ・エミリア保育を学び,カナダの保育士ライセンスを取得。
バンクーバーにて,ジャパニーズイマージョンのプリスクールを主宰。

 


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