世界の数学教育・日本の数学教育
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国立教育研究所・科学教育研究室長
長 崎 栄 三

 我が国の数学教育,というより,教育において,不思議と避けられていることがあります.それは,個人の学力の格差ということです.例えば,我が国の大規模な調査の分析では,個人の得点分布よりも正答率が多く使われます.教育においては,学力に差があってはならないようです.高校1年までは,同じ内容を同じ進度で学習するのですから,学力に差はつかないということでしょうか.また,一般的には,我が国では,皆が,平均的である,一様であるとよく言われます.高校は入学試験で学力を揃えているわけですから,中学校より学力格差がないようですが,それでも苦労している先生は多いのではないでしょうか.
 今回の調査では,受けた問題は異なっていても,ラッシュ・モデルという特別な方法を使い,すべての生徒の得点を同一の尺度に乗せました.そこで,各国の数学の得点分布を描くことが可能になりました.各国の学力格差は,その標準偏差で表されます.標準偏差が大きいほど,学力格差が大きいことになります.そのような各国の得点の標準偏差を,その大きい順に並べると表9の通りです.
 我が国は,学力格差は,小学校4年では国際的にはそれほど大きくないようですが,中学校2年になると非常に大きい方に入っています.我が国の生徒は,中位あたりに集中していたのではなかったのでしょうか.実は,1964年の第1回調査でも,すでに,我が国は標準偏差の大きい方のグループに入っていたのです.
 数学の学力格差は,から分かるように,どの国にも生じるものです.いえ,
数学だけではなく,どの教科でも同じでしょう.重要なことは,学力にはある程度の格差が生じることを認め,一方で,それらの格差に応じた教育を保証することでしょう.我が国は,この両者が欠けているようです.諸外国では,達成度別コース,学年留置などの制度的な措置を取っております.それぞれの生徒が各自の能力に応じてきちんと学力をつけることを目指します.また,このようにすれば,一つの学校で多様な生徒を受け入れることができ,学校間格差を無くすことも可能です.
 受験のためだけではない意味のある学習を達成するには,数学教育の中で考えるだけではなく,一方で学力格差に応じた教育を制度的に考えることが必要なのです.

表 算数・数学の得点の学力格差の国際比較
算数での標準偏差(小4) 数学での標準偏差(中2) 数学教養での標準偏差(高3)
標準偏差 得点 標準偏差 得点 標準偏差 得点
シンガポール
104 625 ブルガリア 110 540 チェコ 99 466
オーストラリア
92 546 韓国 109 607 スウェーデン 99 552
イギリス
91 513 日本 102 605 ニュージーランド 98 522
ニュージーランド
90 499 香港 101 588 オーストラリア 97 522
ギリシャ
90 492 オーストラリア 98 530 ドイツ 94 495
スコットランド
89 520 チェコ 94 564 ノルウェー 94 528
ハンガリー
88 548 ハンガリー 93 537 ハンガリー 92 483
チェコ
86 567 アイルランド 93 527 アメリカ 91 461
キプロス
86 502 イギリス 93 506 カナダ 90 519
アイルランド
85 550 ベルギー(Fl) 92 565 オランダ 90 560
アメリカ
85 545 スロバキア 92 547 アイスランド 88 534
イスラエル
85 531 オーストリア 92 539 スイス 88 540
ラトビア
85 525 ロシア 92 536 デンマーク 87 547
カナダ
84 532 イスラエル 92 522 イタリア 87 476
スロベニア
82 552 アメリカ 91 500 スロベニア 87 512
日本
81 597 ドイツ 90 509 リトアニア 85 469
ポルトガル
80 475 ニュージーランド 90 508 ロシア 85 471
香港
79 587 オランダ 89 541 南アフリカ 81 356
オーストリア
79 559 ルーマニア 89 482 オーストリア 80 518
韓国
74 611 シンガポール 88 643 フランス 79 523
ノルウェー
74 502 スイス 88 545 キプロス 73 446
アイスランド
72 474 スロベニア 88 541  それぞれの児童・生徒は,受けた問題が異なる.
 例えば,中学校では,数学の問題数は158題であり,それが8つの問題セットに分けられ,生徒はそのいずれかを受けた.
 ラッシュ・モデルとは,被験者の一般的能力から,ある問題の得点を説明しようとするモデルである.(例えば,芝祐順編『項目反応理論』東京大学出版会を参照)この逆を考えると,ある問題群の得点から,被験者の一般的能力を推測できて,共通の尺度で被験者を比較できるようになる.
オランダ
71 577 ギリシャ 88 484
タイ
70 490 キプロス 88 474
イラン
69 429 スコットランド 87 499
クウェート
67 400 カナダ 86 527
注:国名について.
IEAでは,文化や言語が異なる地域は1つの国でも別々に参加している.

(1)連合王国
 England:イギリス
 Scotland:スコットランド

(2)ベルギー
 Fl:フラマン語圏
 Fr:フランス語圏

ベルギー(Fr) 86 526
タイ 86 523
スウェーデン 85 519
ノルウェー 84 503
デンマーク 84 502
ラトビア 82 493
リトアニア 80 477
フランス 76 538
アイスランド 76 487
スペイン 73 487
南アフリカ 65 354
ポルトガル 64 454
コロンビア 64 385
イラン 59 428
クウェート 58 392