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−相反するものの実現について− |
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近代化学がラボアジェの質量保存則に始まったとすれば,化学の最も基本となるところはその定量性にあり,今日の化学の底流である.したがって,学校における化学教育にもそのことが脈々と流れていなければならない.また,現代化学の原動力が量子論にあるとすれば,その扱いは学校教育のどこかで顔を出さなければならない.さらには,自然科学の最も大切な点は,その論理性と合理的な説明によって自然界を正しく理解していく態度にある.そこで,学校で教える化学において,われわれがそれをどう実現してきたかが問題となるのだが,何とも心もとないものがある.ほとんどの人間が高校へ行く時代にあって,「そこまで教える必要があろうか」といった内容が含まれていた時代から比べれば,確かに化学は教えやすく学びやすくなったが,自然科学を教える以上は,その根幹を見据えた教育が展開されなければならない. 一方,最近の教育界で話題となっているのは,いわゆる学力低下の問題である.とりわけ大学入学者の学力低下問題がその話題をさらっているようだが,われわれの高等学校ではどうであろうか.「こんなことも…」といった場面に直面する機会があるのではないか. 学力の問題は,知識の量や,決められた時間内で処理できる量などで測られがちだが,むしろ,問題解決能力や推察力,創造力がどうなのかといった面から捉えられるべきであり,実はそう考えるとなおさら最近は不安を感じる. そこで,ともかく知識からということで,なるべく教えることがらを単純化し羅列した方が現代人には理解しやすいと思い,シンプルな内容と説明を心がけることとなる.しかし,このことは,ともすると,論理性を失いやすく,かえって記憶に残りにくく,また論理的思考力育成という点からも離れてしまうことにもなる.実のところ,関連のない羅列より論理性を持った内容の方が,多少量が多くなってもヒモの一端を手繰るように記憶の淵から引き出しやすいものである.かくして,われわれは精選と内容の深化という相反するものの実現に直面することとなる. 1.「中学で何をどう学んできたか」を知ることの必要性について そこでその解決策をさぐるため,まず「生徒たちは中学校においていったい何をどのように学んできたのであろうか」と考えて,中学校の教科書を開けてみた.所属する世代にもよるが,「変わった」と感じざるを得ない.それは写真や図が大幅に増えて見やすくなったというだけではなく,自然現象,実験事実の紹介にかなりの部分を費やし,その説明,解説はまことに簡潔である.したがって,それをどの程度まで説明し生徒に理解させるかは,授業の展開にかかっている.すなわち,高校に入学して来る生徒たちの学習準備状況にばらつきがあるであろうことを知る.画一的な授業によって知識量をふやすこれまでの教育では,将来を担っていく人材の育成はもはや不可能に近いことを十分に承知しているつもりだが,その一方で,われわれは学校教育という集団教育の一端を担っており,そこでよりよい教育展開を実現していくには集団の様子を的確に捉えておくことがぜひとも必要である. 2.内容の精選を行いつつ内容の深化をどのように行うか そこで,授業の構成と展開が大切となり,内容の精選と深化が重要となる.われわれは春休み中の3月下旬の土曜1日を利用して次のように行った.想定予測授業対象者は私大,短大,看護系進学希望の生徒で, 新課程の学習指導要領またはそれと同等の資料と現在使用の教科書(教員数分)を準備した.このために化学担当者は過去の授業の展開状況,理解度,進路状況とその入試問題の検討までを充分に行っておいたことは言うまでもない. 物質の量=個数のカウント
3.結論 近頃,授業に携わっていて,生徒の理解力が低下してきているのではないかと感じ始めていた.そこで,中学校で学んできたことの点検を行い授業内容の再構築を行った.また,それと同時にわれわれが展開する授業の内容の深化と体系化が急務であることを痛感し,内容の精選を同時に行い化学の根幹を明確にした授業展開を目指した.このことはわれわれの学校ではまだほんの第一歩でしかない.今後の検証が重要になってくる. |
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