科学の歩みところどころ
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第28回
生態系とは何か
鈴木善次
 
「生態系」という言葉

 「生態系」という言葉が日本ではじめて使われたのは1895(明治28)年である。東京大学で植物学を講じた三好学(1861〜1939)がヨーロッパ留学から戻り、『欧州植物学輓近之進歩』を著し、植物学を植物生理学(Pflanzenphysiologie)、植物形態学(Pflanzen-morphologie)、植物分類学(Pflanzensystematik)、植物生態学(Pflanzenbiologie)に区分したのである。その最後に“生態学”なる言葉が見出される。
 ところで、それぞれに付されているドイツ語を見ていただこう。彼が“生態学”とした元の言葉には今日広く知られている“ecology(生態学)”らしきものは入っていない。彼は“ココニ言ウ所ノPflanzenbiologie ハ通常一般ニ動植物学ノ総称スル所ノBiologie(生物学)トハ其意味ヲ異ニセルヲ以テ、予ハ新ニ植物生態学ノ訳語ヲ作リ、”という注釈を加えている。もし、現在、植物生態学を英語で言えば、Plant ecology になる。
 ecologyをドイツ語では kologie という。この言葉を作ったのはドイツの生物学者で進化論でも著名なヘッケル(E.H.Haeckel,1834〜1919)である。彼は生物学を形態学と生理学に大別し、後者をさらに Arbeitsphysiologie と Beziehungsphysiologie(関係生理学)に分け、この関係生理学の中に分布学と生態学を位置づけたのである。ここで言う生態学は今日の個生態学に当たるもので、動物、特に問題となる動物と接している動植物との仲間または敵としての関係を研究する学問という定義がされている(1869年)。すなわち、ダーウィンが取り上げた生存闘争における諸条件の相互作用を研究対象とするものと言えよう。
 このように外国語でも日本語でも、「生態学」という言葉は今日的用法とはいささか異なった形でこの世に生を受けたのであった。
 
「生物共同体」という考え方

 明治35年に面白い表題の著書が出された。それは上記三好学の著した『植物生態美観』である。私の手元にあるものは大正元年に改訂出版されたものであるが、その序に次のような文が載せられている。
 “「生態美観」とは明治三十五年に初めて用いた言葉で外国の書物や本邦の著述においても、まだ斯様な見地から植物の美観を論じたもののあることを聞かない。全体植物の真の美観は、自然の生態に照らして観察すべきことで、生態を離れては真の美観を知ることは出来ない。”
 これは植物を個として扱うのでなく、集団または環境との係わりで眺めることの必要性を示唆したものとして興味が持たれる。こうした個体レベル以上で生命現象を捉えようとする試みは遠くギリシャ時代からの自然誌的研究の中や、下って18世紀の植物地理学的研究の中に見出すことができるが、特に19世紀のはじめに行われたフンボルト(A.von Humboldt,1769〜1859)による研究は重要な位置を占めるものである。
 フンボルトといえば彼の名を冠した海流がある。南アメリカの西海岸を流れる“フンボルト海流”がそれである。このことからも知られるように、彼はアメリカ大陸の探検を行い、その旅行記を著している。ダーウィンがその旅行記に魅せられ、それに倣って『ビーグル号航海記』(1839年)を出版したことも有名である。
 このフンボルトが世界各地を見て、その相観(Physiognomy)の違いに気づき、いく種類かの相観(型)を作って世界を区分することを提案している(1806年)。この相観という概念は今日の生活型(life-form)なる概念の源をなすものであり、やがて植生研究へと発展させられることになり、19世紀末にはデンマークのワーミング(Warming,1841〜1924)によって植物にも社会が存在するという考え(植物群落)が生みだされることになる(1889年)。ワーミングによって今日の植物生態学が作りあげられたという評価があることから見れば、その源となったフンボルトの位置も高く評価されてよいであろう。生態学者の沼田眞は、“生物の世界の空間的法則をうちだしたもの”としてフンボルトを称えていた。
 18世紀後半になると上記ワーミングのほかにも自然界のつながりに眼を向け、統一性を考えようとする動きがいくつか現れている。その背景が何であるかは明らかではないが、とりあえず、いくつかの例を紹介しよう。
 例えば、ドイツのメビウス(K.A.Mbius,1825〜1908)は人工真珠の研究家で有名だが、海岸の岩礁で固着生活をしているカキの研究を通して、一つの場所に集まり生活している動物たちの間に相互関連のあることを見出し、それら相互集団に対して“生物共同体(Bioznose, 英語では biocoenosis)”なる名称を与えた(1877年)。
 また、アメリカのフォーブス(S.A.Forbes,1844〜1930)は1887年の論文(The Lake as a Microcosm)で湖を一つの小宇宙として捉え、その中に生息する生物はすべて何らかの形で関連しており、一まとめにして研究することの必要性を指摘している。彼もメビウスと同様、応用生物学(農業害虫と天敵)の研究者であったようである。そのことと自然界を一つのつながりとして認識する態度との関連性が存在するかどうか目下のところ明らかでないが、興味のわくところである。
 さらに、ロシアのドクチャエフ(V.V.Dokuchaev,1846〜1903)も生物共同体の考えを発展させ、無機的要素も加えたつながりとして geobiocoenosis なる概念を提出しているという。オダムによれば、次で取り上げる生態系の考えとほぼ同じであるという(1972年)。
 
「生態系」概念の提出

 では、その「生態系」という概念はどのようにして出されてきたのであろうか。「生態系」を英語では ecosystem という。この造語者はイギリスの生態学者タンズリー(A.G.Tansley,1871〜1955)であり(1935年)、それを日本語で「生態系」としたのは沼田眞である(1948年)。
 ワーミングにより提案された群落概念はその後、多くの研究者により採用され、ヨーロッパ、アメリカで群落の調査が盛んに行われた。アメリカのカウルズ(H.C.Cowles,1869〜1935)はミシガン湖の砂丘で植生の調査を行い、群落が遷移するという考えを明らかにした(1899年)。これは生物の社会が動的なものであるという見方をもたらしたもので、その後の生態学の動きに影響を与えるものであった。これに刺激されたのが同じアメリカのクレメンツ(F.E.Clements,1874〜1945)である。彼はいくつかの群落遷移を研究し、1916年にはそれをまとめて『植物の遷移』なる著作にして公表、群落遷移の様子を一般化した。彼によれば群落も一つの生物体と同様に成長、成熟などが見られ、極相(Climax)がその成熟期であるという。
 彼の考えは比較的明解であったので学界に受け入れられ、動的生態学などと呼ばれ、広まっていった。もちろん、その後、いくつかの点で批判を受けるが。
 いっぽう、群落の考えは動物学者たちにも関心を持たれた。アメリカのシェルフォード(E.V.Shelford,1877〜1968)もその一人で、シカゴ周辺の動物群集を研究していた。彼は1913年に食物連鎖なる概念を提案しているが、この考えは1927年にイギリスのエルトン(C.S.Elton,1900〜1991)が彼の著『動物の生態学』(渋谷寿夫訳、科学新興社、1968年)の中でさらに強調することによって学界に広まることになった。
 ところで、生態学は植物生態学と動物生態学がそれぞれ独立に発展してきていた。その間では未だ真の生物共同体の考えは生み出されにくい。これに先鞭をつけたのが先のクレメンツであった。彼は遷移の一つの基本概念としてバイオーム(Biome)という生物社会の基本単位を考えた(1916年)。
 このバイオームの中には無生物要素が含まれていなかった。この点を指摘し、それらを含めて一つの基本単位を考えたのがタンズリーである(1935年)。彼が名づけた Ecosystem が今日多くの人に用いられているが、実は彼より早く、同様な考えを提出していた人がいる。それはドイツの森林生態学者、応用昆虫学者のフリーデリクス(K.Friederchs,1878〜?)である。彼はフォーブスの考えを森林に当てはめ、森林が一つの有機体であるとして、これにHolozonなる名称を与えた。この Holozon の考えを水界に当てはめ、Biosystem と名づけたのは陸水学者のティーネマン(A.Thienemann,1882〜1960)であり、急速に“生態系”なる考えが広まっていった。
 なお、このティーネマンはエルトンたちの提唱した食物連鎖の考えとを合わせて、湖水中の生物を生産者、消費者、還元者の三つのグループに分け、Biosystem の中での物質循環の様子を明らかにする試みを行っている(1939年)。
 今日、この「生態系」、特にカタカナの「エコシステム」という言葉は理科の教科書ばかりでなく、広く一般の書物、時には新聞、雑誌などでお目にかかる。言わずもがな、環境問題がやかましくなって、それとのかかわりで生態学が注目されるようになったからである。なお、生態学の英語 ecology のカタカナ「エコロジー」は学問の名称というよりも、いわゆる「環境主義」運動に関連して使われることが多い。
 いずれにせよ、日本の生物学の中でも他の分野に比べ生態学は立ち遅れていた。もし、三好学が真の意味で「生態学」という言葉を作っていたら事態はどう変わっていたであろうか。

<参考資料など>
・エルトン(渋谷寿夫訳)『動物の生態学』(科学新興社、1968年。第2版)
・アンナ・ブラムウェル著、金子務監訳、森脇靖子・大槻有紀子訳『エコロジー-起原とその展開』(河出書房新社、1992年)
・マッキントッシュ著、大串隆之他訳『生態学--概念と理論の歴史』(思索社、1985年)
・ボウラー著、小川眞里子他訳『環境科学の歴史』T、U(朝倉書店、2002年)