科学の歩みところどころ
理科目次へ
第11回
落下運動の解明
森 一夫
児島昌雄
 「運動を知らない者は自然を知らない」という古い格言がある。古来より自然学者は,運動こそ自然を理解する鍵と考えて,運動と,運動の原因となる力との因果関係を求め続けてきた。今回は,古代からの自然学をようやく断ち切り,科学革命を引き起こす直接的契機となった落下運動を取り上げて,その探究のあゆみをひもとくことにしよう。
 
物の本性は静止である

 アリストテレス(384-322B.C.)は,奴隷や牛馬が物を押したり引いたりする運動を注意深く観察して,力と運動とはどういう関係にあるのかを考えた。そこで,物の本性は静止であり,運動している物体には絶えず力が働いているという結論を下した。彼のいう運動には,力が物体に内在するために自然に生じる運動(自然運動)と,他から力が加わって生じる運動(強制運動)とがある。
 石が落下する運動は,代表的な自然運動である。では,なぜ石は下へ落ちるのだろうか。アリストテレスによれば,石にとって“自然な”場所が地球の中心付近にあるため,その場所に帰ろうとして落下するというのである。また,その時の加速については,あたかも家に帰ろうとする人の足取りが自分の家に近づくにつれて速くなるように,石もまた“自然な”場所に近づくほど速くなる,と目的論的な説明を与えている。
 一方,同じ落下運動でも,投げられた石が落ちてゆくのは,手から石に力を加えたのだから強制運動になる。すると手から離れた石はいったい何に押されているのだろうか。手を離れた石に接触しているものは空気しかない。そこで,「自然は真空を嫌う」と信じていたアリストテレスは,石が手から離れた瞬間,手と石の間に生じる真空状態を防ごうとして,その部分に周囲の空気が流れ込んで,その空気がたえず石を押し続けるのだ,といささか苦しい説明をしている。
 
物に“込められた力”

 アリストテレスの運動論は,放物運動の説明でまず破綻をきたした。6世紀のフィロポノスが批判の口火を切り,14世紀にビュリダンを始めとするパリの自然学者が,アリストテレスの学説に挑戦した。14世紀といえば,ヨーロッパでは大砲がさかんに使われ,その弾道理論が要求されていた時期である。弾丸や投げられた石のような物体は,空気に押されるのではなく,むしろ空気に抵抗されながら運動している,とビュリダンたちは反論するのである。では,なぜ弾丸や石は動き続けるのだろうか。力を加えた際,物体内に力が入り込み,その力が物体を推進するために運動は続く,というのが彼らの新しい学説である。もっとも,この“力”は,今でいう力と概念とはいささか違って,エネルギーや運動量の考えに近い。下図は,彼らが考えた弾道図である。“込められた力”によって動く弾力の軌跡は直線と考えていた点が,今日の私たちからみると興味深い。ちなみにわが国では,「改算期(1659)」のなかに初めて放物線に近い小銃の弾道が登場した。
 さらにビュリダンたちは,放物体での説明を落体の加速の問題にまで拡張した。すなわち,物体の重さがとりもなおさず物体自身に働く力となり,落下している間にその力が累積されてゆくため,物体内に取り込んだ力はますます増大するというのである。このような彼らの考えは,今日の慣性概念に一歩近づいたものといえよう。
 
慣性概念の成立

 慣性概念は,コペルニクスの地動説を整合的に説明する必要性から登場してきた。当時天文学者のみならず,天体の運行表を利用して遠洋航海する船員たちもまた,地動説に関心をよせていた。ところが地動説に対して,次のような批判が加えられた。もしほんとうに地球が動いているならば,私たちはその動きを感じるはずだし,何より塔から落とされた石は地球から取り残されるため,西よりに落ちるだろう。しかし,そんな事実はない。こうした反論に対してブルーノは等速で動いている船のマストから落とした石がマストの真下に落ちる現象をこう説明する。船と石は一つの力学系であり,系全体が同じ運動をするときには,その系内での運動は系が静止している場合と同じだ。したがって,地球が動いているとしても,静止しているときと同じ地上の運動現象が生じても,何ら,さしつかえないではないか,というわけである。
 ガリレイ(1564-1642)は,水平面や斜面上での物体の運動を調べて,慣性運動では外力を作用し続ける必要のないことを明らかにした。たとえば,なめらかな面に物体をのせたとしよう。斜面だと物体は重力によって加速運動するが,水平面だと重力による速度変化は生じないから,永遠に動き続けるというのである。電力場での運動を論じるガリレイにとって,水平面とは重力による運動が生じない面,つまり地球と同心の球面にほかならない。彼は地球が太陽を中心に円運動すると信じていたから,こうした円運動こそ外力を加えなくても維持する慣性運動だと考えた。
 デカルト(1596-1650)は,理想的な抽象的幾何学的空間を頭に描いてみると,ガリレイのいう円運動にはやはり外力が作用していることがわかったので,等速直線運動でなければ慣性運動にならないことを指摘した。
 
落下速度は何に比例する

 慣性概念を獲得したガリレイとデカルトは,落下運動の理論にもその“慣性”概念を適用した。まずガリレイは,巧妙な実験を考案して,落下運動が等加速運動であることを明らかにする。今の中学生なら,さしずめストロボ写真を使うだろうが,当時は満足な時計さえない時代だった。実験的手腕に優れていた彼は,摩擦を少なくした斜面上に円球を転がし,同時に穴をあけた容器から水を流す一種の水時計を用いて球の落下時間を測定した。落下距離が落下時間の2乗に比例するという実験結果を得たので,ガリレイは落下速度が落下距離に比例すると仮定して,この事実を証明しようとした。彼の仮説が誤っていることは,現代の中学生でもわかるだろう。もっとも,後年になって彼はその誤りに気づき,落下速度は落下時間に比例すると改めている。
 ガリレイと同じ頃、全宇宙の自然体系を数学的に構築しようとするデカルトは,ベークマンと一緒に落下運動の究明に取り組んでいた。彼らの課題もまた,落下距離が落下時間の2乗に比例するという関係を導き出すことだった。ガリレイは落下運動の生じる原因を追求しなかったが,この二人は地球が物体を瞬間瞬間に引きつけているから落下運動が起こると考えた。そして,この引力の概念と慣性の概念,それに“極限”という数学的手法を用いて,落下距離と落下時間の関係を演繹的に証明したのである。ところが2人とも次図を使って議論しているのだが,ベークマンはAB軸を時間軸,デカルトはこれを空間軸と解釈していた。もちろん間違っているのはデカルトの方だが,彼は終生この誤りを正すことはできなかった。類推のみに頼って自然を探究する場合,思わぬ落とし穴のあることを示すよい例である。
 物体は,この図でAからBへ落ちているとしよう。AB上の各点での速度は,その点から斜面AC上に引いた線分の長さDE,BCで表わされるというのが,デカルトとベークマンの考えである。
 
万有引力の発見

 そして,ついにニュートン(1643-1727)が,アリストテレス以来続いてきた落下運動をめぐる議論に終止符を打った。彼は万有引力の法則を発見して,落下運動を生じる力は地球と物体とが引き合う力にほかならないことを明らかにしてくれた。まず彼は,微積分という新しい数学的手法を使って,距離の2乗に逆比例し,質量の積に比例する万有引力を仮定すれば,ケプラーの3法則が導出できることを証明した。しかし,地球と物体との間に万有引力が働いているという事実は,どうすれば確かめることができるだろうか。そこで彼は,月と地球との間に働く万有引力が,とりも直さず,月の公転運動を生じる求心力だと仮定してみる。地球から月までの距離は地球の半径の約60倍だから,月の求心加速度は,地上の重力加速度の になるはずである。事実,この値は,月の周期と地球から月までの距離から求めた値とぴったり一致した。
 ニュートンは,この万有引力の概念と,彼の名がつけられている運動の3法則とを使って,地上から天体に至るすべての運動を体系的に説明づけることができた。彼が樹立した新しい力学は,やがてオイラーやラグランジュらの手により,さらに精緻な解析力学として定式化され,近代科学の礎石になった。