科学の歩みところどころ
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第10回
酵素とは何か
鈴木善次
 
「酵素」という言葉

 中学の理科や高校の生物の教科書を紐解くと,“酵素”という言葉に出会うし,学校以外でもいろいろなメディアなどを通して,その現象や実体よりも先に言葉が私たちの頭に入りこんできている。このことは何も“酵素”に限ったわけでなく,“エネルギー”,“原子”,“電気”など数え上げればきりがないほどである。しかし,多くの場合,それらの言葉を使う人にその中味を正してみると的確な返事をもらえない。はたしてそれでよいのであろうか。理科教育をどう考えるかによってその評価は異なるであろうが,筆者のように探究的な学習を勧めたいものには好ましくない状況に思える。
 さて,本稿は教育論が主眼ではないのでこれ以上深入りはせずに,話を先に進めよう。
 そもそも“酵素”という言葉は,いつ,どのようにして作られたのだろうか。『生物学辞典』(岩波書店)で,「コーソ」という項目をひくと,英語・フランス語で enzyme,フランス語で ferment,diastase,ドイツ語でEnzym,Ferment と書かれている。ここで注目していただきたいのは enzyme と ferment という二つの言葉が同じ「コーソ」に当てはめられていることである。逆に英和辞典でこの二つの単語をそれぞれ調べてみると,いずれも“酵素”という訳語が登場する。実は,ここに酵素概念が成立してくる歴史が秘められている。
 この二つの言葉のうち,古いのは ferment の方である。もともと ferment には“発酵”という意味もあるように,古くから人々が関心をもってきた発酵現象に関連して登場した言葉であり,ときには“発酵素”と訳したり,“酵母”そのものを意味させることがある。17世紀に活躍したファン・ヘルモント(Helmont, Jan Baptista van, 1577―1644, ベルギー)は“生命作用あるいは化学作用を行なう活力”という意味で ferment という言葉を用いているが,この場合でも“発酵素”と邦訳するのが一般的である。
 これに対して enzyme は19世紀も後半に登場した言葉である。すなわち,1876年(文献によっては1878年とするものもある)にドイツの生理学者キューネ(Kuhne, Willy, 1837―1900)がはじめて提唱したものである。では,彼はどのような理由で新しい言葉を提唱したのだろうか。そのためには時代をいくらかさかのぼる必要がある。
 
“発酵は一種の触媒作用”

 発酵現象は古くから人々に知られ利用されていたものであるが,科学的研究の対象とされたのは比較的新しい。18世紀の末にラヴォアジェ(Lavoiser, Antoine Laurent,1743―1794,フランス)がアルコール発酵の定量分析を行い,糖がアルコールと二酸化炭素に分解する作用であると述べて以来(1789年),化学者の追究が盛んになる。しかし,発酵現象や腐敗現象に関してはさまざまな説が登場し,19世紀中葉には,いわゆる“発酵論争”が展開されることになる。
 この項のタイトルに掲げた“発酵は一種の触媒作用”説を持って登場するのがスウェーデンの化学者ベルツェリウス(Berzelius, Baron Joens Jakob,1779―1848)である。彼は1837年の論文でその説を提唱しているが,“触媒”という概念自体も彼が生み出したもである。もちろん,こうした考えはいきなり生まれたものではなく,それなりの背景があった。
 1812年にロシアの化学者キルヒホッフ(Kirchhoff, Gottlieb Sigismund Constantin, 1764―1833)が,デンプンを弱酸で煮るとブドウ糖に分解するが,そのとき酸は量・質ともに少しも変化しないことを見出している。また,1816年にはイギリスの化学者デービィ(Davy, Humphry, 1778―1829)がアルコールの蒸気が白金線の存在下では常温でも酸素と結合することを確かめ,なお白金には何らの変化がないことを報告している。これら化学分野での触媒現象の知見と相まって,生体現象においてもこれに類似したことがらが見つかってきた。
 例えば,先のキルヒホッフは1815年にムギから抽出した粘液性成分が常温でもデンプンをデキストリンと糖に変えることを実験で示しているし,さらに1833年にはフランスの化学者ペイアン(Payan, Anselme, 1795―1871)とペルソー(Persoz, Jean Francis, 1805―1868?)がオオムギの芽から取り出した特異な物質が酸よりも能率的にデンプンを糖化することを見出し,この特異物質と酸との機能における類似性を指摘している。
 この特異物質は彼らによってギリシア語のディア・スタシス(分離・分解という意味)に由来するジアスターゼという名称が与えられるが,生体内に少量しか存在しないのにその作用は大きい点が注目されることになる。すでに1831年に唾液中のプチアリンの糖化作用がルークス(Luchs)によって,また,1836年に胃液のペプシンが細胞説で有名なシュヴァン(Schwann, Theodor, 1810―1882,ドイツ)によりそれぞれ発見されており,いずれも少量で大きな作用をもたらすという共通性も示されていた。ベルツェリウスはこれらをふまえて“発酵も一種の触媒作用である”と定義づけることになったのである。
 
“酵母”の役割

 しかし,話はそう簡単に収まるものではない。ペプシンとかジアスターゼなどは生体から取り出しても化学反応を“触媒”するが,アルコール発酵にはどうしても“生きた酵母”が必要であった。1840年前後にはその酵母が“一種の単細胞生物”であることが認められたから話が複雑になった。
 ベルツェリウスの触媒説を批判しながらも発酵を一種の純粋な化学作用であると主張したリービッヒ(Liebig, Justus von, 1803―1873,ドイツ)と,生きた生物の働きの存在の下でのみ発酵が起こると考えたパスツール(Pasteur, Louis, 1822―1895,フランス)の論争はあまりにも有名である。この両者の論争を経て,はじめて今日の酵素の概念が出来てくるのである。
 では,この両者は“酵母”の役割をどのように考えていたのであろうか。リービッヒは,酵母は生きている時には発酵を起こさせない。酵母が死んで糖液の中へ卵白様物質を出す。すると糖の分子が振動を起こし,その結果,糖が分解し,アルコールが出来てくる,と考えた。
 これに対して,パスツールはどう考えたのであろうか。彼の発酵に関する研究は,アルコール発酵ばかりでなく,乳酸発酵など幅広いものであり,また,その間に微生物学の誕生にかかわる貢献もしていることから知られるように,酵母のみでなく,広く発酵微生物の役割を論じることになる。彼にとって,発酵は微生物の生理過程の現われとして捉えられるのであった。
 ところで,パスツールは研究中に大事な発見をしている。それは“パスツール効果”である。発酵を起こさせようとするとき,空気があると微生物は盛んに増殖するがアルコールが出来てこない。逆に空気を断ち切ると微生物の増殖は緩やかになり,アルコールが出来てくる。彼はこの発見を踏まえて,1876年に“発酵は無気状態での生命活動である”と結論する。
 
無機的酵素と有機的酵素

 これより先,パスツールの見解に対していろいろな反論が展開されていた。その中で注目されるのはトラウベ(Traube, Moritz,1826―1894,ドイツ)が1858年に示した“発酵は無機的酵素によって生じる”という考えである。無機的酵素というのは,すでに紹介したジアスターゼやペプシンなど生物体から抽出しうる ferment につけられた名であり,これに対して酵母など発酵微生物に存在すると考えられている ferment には有機的酵素という名が与えられた。
 このトラウベの考えを支持したのがベルテロ(Berthelot, Pierre Eugene Marcelin,1827―1907,フランス)である。彼はビール酵母の浸出液から抽出した物質がショ糖をブドウ糖と果糖に分解することを見出し,酵母の中にもジアスターゼやペプシンと同じような ferment があることを示した。彼はこれを根拠に発酵は微生物の生理作用と関連しているとしたパスツールの考えに反対し,有機的酵母も無機的酵母と同じような作用をしているのであろうと主張した。
 こうした論争の中で,1876年キューネが二種類の ferment の混乱を避けるために,生きた細胞内で生命に関係ある化学反応を起こすものにのみ ferment という名を与え,ペプシンやトリプシン,あるいはベルテロが発見したインベルターゼなどに対しては,酵母中の ferment に似ているという点でギリシア語で“酵母の中の”という意味をもつ enzyme(en・…中に,zyme・…酵母)なる名称を与えるよう提案した。
 やがて,1897年ブフナー(Buchner, Eduard, 1860―1917,ドイツ)により,無機的酵素と有機的酵素の同一性が示されることになる。彼はガラスの粉末で細かく砕いた酵母からの抽出液により生体外で発酵現象を起こさせることに成功し,その有効成分に対してチマーゼという名を与えた。もちろん,現在ではチマーゼが複数の酵素から成り立っていることは知られているが,彼の研究によって一応発酵論争には終止符が打たれ,キューネの提唱した enzyme によって ferment という言葉も置き換えられることになった。なお,酵素の名の語尾に-aseがつけられていることが多いが,これは1883年に Duclaux の提案になるものである。
 ところで,現在私たちは酵素がタンパク質であることを知っているが,そのことが明らかになるのにはタンパク質自体に関する研究が進歩する必要があった。すでに先に登場したトラウベもそうした考えを持っていたようであるが,人々を説得させるには至らなかった。それが可能になるのは20世紀になり,タンパク質の精製技術が進歩したことによる。1926年にはサムナー(Sumner, James Batcheller, 1887―1955,アメリカ)がウレアーゼなる酵素をはじめて精製することに成功し,また,1930年にはノースロップ(Northrop, John Howard, 1891−1987,アメリカ)がペプシンを結晶化し,それがタンパク質であることを示すなど,徐々に“酵素はタンパク質”という考えが受け入れられることになる。教科書にはこうした経緯を省略した結論が示されている場合がほとんどであるが,生徒達がこうした歴史的流れを知ったときには“酵素”を含め,さまざまな科学概念に対して新たな視点や考えが生まれるのではないか。そう期待したい。