科学の歩みところどころ
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第4回
生物を分類する目的は何か
鈴木善次
 
リンネの「二十四綱」

 江戸時代の終わり近く,1835年に宇田川榕庵が著わした『植学啓原』という書物の第1巻に「第十八図 林娜氏二十四綱」という図がのせられている.これはいうまでもなく,リンネ(1707〜78)の Systema Naturae(自然の体系 1735)で彼が示した植物分類の図表を紹介したものである.宇田川榕庵(1798〜1846)といえば,江戸時代においてヨーロッパの近代科学を紹介し,その啓蒙に努力した菌学者として高く評価され,最近では,彼に関する研究が活発である.榕庵の生物学分野における活躍の様子は矢部一郎氏(立正大)が特に詳しく研究されている.矢部氏によって『植学啓原』の現代語訳(講談社)もなされているし,上記の図の紹介も彼によるものである.
 さて,このリンネの「二十四綱」とは何であろうか.植物を二十四の綱に分類したものであるが,その基準がふるっている.彼は植物のおしべの数を基準にし,第1綱はおしべ1本のもの,第2綱は2本のものというように,第13綱までもうけ,さらにそのあとは,おしべとめしべの相対的位置や大きさで第23綱までつくり,最後にいわゆる花をもたない植物を一括して第24綱とした.コケやシダはここに入ることになる.今日の分類と比べるとかなりのへだたりがあるし,リンネ自身もこの分け方に満足していたわけではない.しかし,彼以前のものに比べると,分類しやすくなり,当時の人々には便利なものとして愛用されたようである.
 
おしべを基準とした理由

 では何故にリンネはおしべの数などを分類の基準としたのであろうか.また,彼以前にはどのような基準で分類がなされていたのであろうか.もともと物や事柄を分類するというのは,それらが量的に増大し,整理をする必要上から起こってきたものであり,人間の便宜上のものである.したがって,分類の基準も実用的なものが多い.植物についていえば,薬用,食用などというグループ分けがあげられよう.榕庵がリンネの分類法,広くはヨーロッパの植物学における分類法を紹介したころ,日本では中国から伝えられていた本草学的な分類が主流であり,この場合にはほとんど実用的なものであった.
 ヨーロッパで実用的分類から離れた形の試みがなされたのは,古くギリシャ時代,アリストテレス(B.C.384〜322)の弟子テオフラストス(約B.C.372〜B.C.287)であり,植物を喬木,灌木,亜灌木,草本に区分している.しかし,その後は実用的な分類が幅をきかせちたようである.ようやく,16世紀になり,植物に関する観察資料も豊富になると,客観的な基準で分類する動きが見られるようになった.たとえばイタリアのチェザルピーノ(約1519〜1603)は果実と種子を基準にして,15のグループに分類しているという(1583年『植物について』).彼はピサ大学で哲学と医学を修めたといわれており,植物に関してはアリストテレスの影響が強くみられ,植物のもつ霊魂(アリストテレスは生物の基本的原理として三つの霊魂の存在を考えた.一つ目は植物的霊魂で生殖,栄養を,二つ目は動物的霊魂で感覚,運動を,三つ目は理性的霊魂で人間の理性をそれぞれつかさどるとされた.)の活動と関連づけ,生殖,とくに結実器官に注意をむけたようである.
 リンネはこのチェザルピーノを真の分類学者として尊敬していた.しかし,チェザルピーノが果実を重視し,花は単に果実の保護のためにあるものとして軽視したのに対して,花に注目した.リンネ以前に花に注目した人としては,花びらの数で分類したバハマン(1690),花冠の形で分類したトゥルヌフォール(1694)があげられるが,リンネはこれらの考えとも異なり,花びらも単なる飾りであり,植物にとって最も大切なものは花の中でもおしべであると考えた.
 それは,彼がおしべの先端につく“花粉”が生殖にとって重要な役割をはたしていることを認めたからである.ただし,はじめのころは今日のように花粉を生殖に際しての雄の役割とする考えでなく,花粉の中に植物体が入りこんでいるという前成説を信じていたのだといわれている(中村禎里氏『生物学の歴史』河出書房新社).
 
分類する目的

 おしべの数を基準にして植物分類を行ったリンネは,動物に関しても分類している.この場合には6つの綱(四足獣類,鳥類,両生類,魚類,昆虫類,蠕虫類)をたてているが,ギリシア時代のアリストテレスのものとあまりちがいがない.むしろ簡単になっている.
 アリストテレスは,『動物の発生』という著書の中で次のように動物を分類している.まず血液の有無で,有血動物と無血動物にわけ,次に生殖の方法によって細分している.有血動物では胎生(人類,胎生四足類,鯨類),卵胎生(軟骨魚類),卵生(鳥類,卵生四足類,無足類),不完全卵生(魚類),無血動物では不完全卵生(軟体類,軟殻類),蛆生あるいは自然発生(有節類),無性生殖または自然発生(殻は類,その他)という区分けである.
 彼が分類の基準とした血液の有無,生殖法,運動のしかたなどは,いずれも客観的なものであり,実用的な目的があっての分類でないことが知られる.ではアリストテレスにとって何が目的であったのだろうか.そのことは同様にリンネにも,あるいはチェザルピーノにも問いかけられることがらである.
 先に,ものを分けることの必要性が実際的便宜から起こるのであると述べたが,上記の人たちの行為はそれに該当しない.それに関してはリンネが24綱の分類法を提出した著書名『自然の体系』にヒントがある.つまり彼は自然の体系を求めたのであった.もちろん,18世紀のころまでにはヨーロッパ人の世界進出は目ざましく,ヨーロッパ以外の国ぐにから珍しい動植物が集められ,生物に関する情報量は増大し,有用な資源生物の調査という実際的要請もあって,分類学が急速に進展したことは確かである.しかし,それだけが目的であれば,客観的な分類法でなくてもよいであろう.
 リンネにとって,自然の体系を求めることは神に仕えることでもあった.リンネは神が生物を創造したことを信じていた.とすれば神がどのようなプランで生物を創造したか,そこにどのような秩序が存在するのか,それを知ることは神に近づくことを意味しているのであった.そのためには神が重要であると考えたであろう器官を分類の基準にする必要があったのである.
 アリストテレスの場合でも,自然の体系化が目ざされたのである.アリストテレスによれば,自然界には神を頂点として,人間,動物,植物,無生物という段階があるという.人間も動物も植物も神の完全性,永遠性に近づくことを目的に生活する.永遠性を得るためには個体を維持し,種族を維持しなければならない.生殖はその目的を達成するための1つの行為であり,生物にとって重要なことがらである.彼が生殖方法を重視して動物分類を行ったのも,彼なりのこうした論理が働いていたからである.
 
分類と学名

 ところで,生物を分類するのには,それぞれの生物種に正式な名称がつけられていなければならない.学者により,あるいは国により,同じ生物に対して異なった名称がつけられていると,ときには同じものを重複して数えたりすることが起こる.この問題に取り組んだのは,16世紀,スイスの植物学者カスパル・ボアン(1560〜1624)であった.
 彼はバーゼルの医者の息子で,バドヴァで学び,その後ドイツ,イタリア,フランスなど各地の植物を調査し,多くの新種を発見したといわれている.彼はこうした研究を通して植物名の共通化を考えるようになり,1623年著書『植物一覧表』で約6000の種にすべての同意名を列記し整理を試みた.さらに,彼はそれぞれの植物に属の名と種の名をつける.いわゆる二名法を考えだした.
 また,ドイツのユンク(1587〜1657)ははじめに属名を表すラテン語の名詞,そのあとに種名を表すラテン語の形容詞をつけることを提案している.
 私たち人類につけられた学名は Homo sapiens(ホモ・サピエンス)であるが,いずれもラテン語であり,前者がヒト,後者が“すぐれた”という意味をもっていることはご承知のとおりである.この学名はリンネによってつけられたものであり,リンネは,ボアンやユンクの考えを発展させ,こうした二名法を学界の正式な命名法として採用し,この名称を学名とすることを確立させた(1753年).以来生物の種には必ず学名が付せられることになり,生物の分類学の進歩に貢献することとなった.
 ところで,この学名は一度正式に決められると変更が許されない.そのため誤りとわかっていても訂正されないものがある.イチヨウの学名を調べてみよう.Ginkgoとかかれているであろう.これは銀杏(Ginkyo)からとったもので,yとgがミスプリントされたそうである.話は脱線するが,この種のミスは目をつぶればよいが,われわれ人類の学名は誤っていないであろうか.本当に人類はホモ・サピエンスといえるのであろうか.最近における人類の活動にはそれに値しないものが存在するように思えてならない.
 それは何が目的で分類学を行うのかという今回の問題と同様に,私たちは何のために,誰のために科学的活動をするのかという問題にも関連しているのである.近代科学の受容に尽した榕庵の努力をむだにしない日本のあり方をさぐる必要があるといえよう.