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イカリボシ錨星
瀬戸内海の漁師たちはカシオペヤ座が低く下がった時の形を船のいかりに見立てて「錨星」と呼んでいました。 錨星は漁村での星の名前と思われがちですが、他にも内陸部や漁村以外の場所でも伝えられていて日本各地で呼ばれていました。 また、福井県では錨星が転訛して「イカレボシ」と伝えられています。
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カズサノオショウボシ上総の和尚星
上総の和尚星は、現在のりゅうこつ座カノープスにあたる星座です。 『日本の星』(昭和32年)では、内田武志氏による伊東の老漁夫のメラ星の伝承(『静岡郷土研究』)、および松本泰氏の報告を受ける以前に、「上総の和尚星」の伝説を故高木敏雄氏の著書で読み、その後、市川信次氏や河村翼氏から別々に報告を受けたことが記されています。 昭和11年版に収録された市川氏の報告内容と似ていますが、「所持金に目をつけられ、むごたらしく殺された」(野尻抱影『日本の星』中央公論社、1957)という記述は、昭和11年版の『日本の星』には含まれていません。また、地名についても、昭和11年版のように「鹿島郡白鳥村大字上幡木」と明記されてはおらず、「鹿島郡の××村」とのみ記されていました。 注目すべき点は、野尻氏が「冬の天氣の變り目に南の山ぎわに低く現れ、うらめしげな印象であるというのは、もしやカノープスではないかと、わたしは考えていた」「そこへメラボシの報告を受けたので、オショウボシもこれと同じ星で、共にカノープスをいうものと思いはじめた」(野尻 1957)と述べていることです。つまり、昭和11年版に見られる「シリウス」や「蠍座のα」といった記述は全く存在しないのです。 さらに、「上総の和尚星」の次には松本泰氏の布良星の報告が続いて掲載されています。昭和32年版では「西風」ではなく「西南風」と表記されており、野尻氏は「これで、メラボシは地元に移って、西南風の強い舊二月に見えるのでは、いよいよカノープスと決まった」と述べています。 (北尾浩一著『日本の星名事典』、カノープスの項参照)
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キシュウノミカンボシ紀州のみかん星
兵庫県と香川県の一部の地域で、りゅうこつ座のカノープスの星名「紀州のみかん星」が伝えられています。 地域ごとの伝承は次の通りです。 ① 兵庫県神戸市深江 明治39年生まれの漁師は、神戸市深江の南に相当する地名「紀州」とともに、紀州の産物「みかん」が反映された「紀州のみかん星」という星名を伝えてました。 「紀州の方、和歌山の方、まあ大きい星出まんのや。紀州のみかん星いう。三時頃によう出よった。紀州のみかん星出たら間(ま)ないわ。夜明けてくる」(明治39年生まれの漁師の話) 「みかん」が星の名前として付けられたように、蜜柑の実る時季から見えはじめ、この星によってまもなく夜明けと判断したと伝承されていました。 ② 香川県坂出市沙弥島 磯貝勇氏が沙弥島において記録した星名で『瀬戸内海島嶼巡訪日記』に「キシューノミカンボシ旧九月頃紀州の上の方に出て、金比羅さんの方に歸る。蜜柑の出る頃でなければ出ぬといふ」と掲載されています。(アチックミューゼアム編『瀬戸内海島嶼巡訪日記』アチックミューゼアム、1940) 北尾氏は、「坂出市付近からは南より約 17 度、東より出て約 17 度西に沈む。従って、金毘羅さんの方向に沈むのはよいとして紀州の上は東過ぎる。紀州が見えるわけではないので、おそらく漠然と東よりという意味で使用したのであろう」と記しています。 (北尾浩一『日本の星名事典』、カノープスの項参照) ※神戸市深江からは、カノープスは紀州の方向に見えますが、沙弥島から紀州は見えません。
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ウシウマサフケウシウマサフケ
ウシウマサフケ(牛馬サフケ)は石垣市白保で伝承された星座です。 現在のオリオン座三つ星(δεζ)にあたります。 石垣繁氏によると、それぞれの星を牛、人、馬に見たてたとされています。



