教養学部の英語教育改革
93年4月から実施された東大教養学部における英語教育改革はだいたい次図のようなものでした.旧カリキュラムと新カリキュラムをならべてみます.
いまから思えば不思議なくらいですが,この改革が実施されるまでの大学の英語教育というものは,言ってみれば,内容も教授法もすべて各教師任せのはなはだ心許ないものだったということになるでしょうか.もちろん,当時もいまも,わたしたちは,それぞれ特定の専門分野の研究者であると同時に英語教育のプロを自認しています.その点では,「すべて教師任せ」という発想もわからなくはありません.しかし,前回述べてきたようなドラスティックな教育現場の環境変化に,日々教壇に立つわたしたちも気づいていたわけで,さまざまな状況から,「何はともあれ変化を!」という信念をもって,この改革を実施に移したのです.
簡単に言ってしまうと,英語Tのほうは,大人数授業で,大学生として読むのにふさわしい厳選された内容と文体の文章を読み,それについての学生の英語力にあわせて作られたオリジナルのビデオ教材に取り組むという趣旨.その一方の英語Uと国際コミュニケーションについては,それぞれ特化した内容に基づいて,各自が伸ばしたい英語力を伸ばせる環境を作る,ということになります.
教養学部の英語教室では,教科書の作成からビデオ撮影まで,改革までにさまざまなアンケート調査などを行い,その結果を十分考慮しながら,すべて自前の手作りでという方針を立て,そのとおり実行しました.その一例として,市販のビデオを使うというような案があったのですが,実際にそのようなビデオを学生に見せてみると,ほとんどその内容が聞き取れないということが判明し,これはもう,彼/彼女たちの聞き取りの速度にあわせたビデオを自分たちで作るしかない,と判断した,というようなことがあります.
試行錯誤の日々
わたしがこの改革の渦中に偶然,東大に移ってきたことは前回も書きましたが,実際,赴任後間もなく,この改革プロジェクトチームに入れられてしまい,最初は右往左往の日々を過ごすことになりました.これも前回書きましたが,この改革の前提は,教師の数は増やさないということだったわけですし,さらに言うなら,事務の方々の手を無用に煩わせてはいけないということもありました.教科書の題材は各自が持ち寄り,議論に議論を重ねたうえに,取り上げる題材を選定し,書き直すべきところは書き直し,最後は註をつける,という作業になります.こちらはまあ,時間がかかる作業とはいえ,教師によっては経験したこともある仕事内容ですから,それなりにスムーズに進みました.問題はビデオ教材のほうで,上記のように,「自前でビデオ教材を作る」と決断したのはいいものの,では「どうやって作るのか?」ということになると,わたしたちはまったくの素人集団にすぎず,最初は途方にくれるほかはなかったのです.
幸いなことに,千葉県幕張市にある放送教育開発センターと共同でビデオ製作をするというありがたいお話があり,スタジオ,撮影機材,そして撮影スタッフはセンターのほうで用意してくださることになりました.しかしそれでも,ビデオで朗読するスクリプト(もちろん,朗読する人も!)を用意するのはこちら側ですし,細かいカメラ割りにいたるまで,わたしたちがすべて自分で考えなければなりませんでした.さらに,収録後の編集作業も待っている…….
わたしはビデオの編集作業を担当することになったのですが,当時はまだパソコンを使ったビデオ編集もいまのように簡便なものがまだなく,パソコンを使うことは使うのですが,ひどく大がかりな機材を駆使しなければなりませんでした.ビデオ編集など,それまでまったく縁がなかったわたしですから,1回のレッスン分のビデオをうまく編集し,さらにそこに字幕を入れたりするのに,慣れないうちは1週間近くもかかってしまうこともざらでした.パソコンの画面に向かってばたばたしていると,すっかり日が暮れるどころか,夜中の12時近くなっていたなどという,いまから思うと懐かしい思い出もあります.
このように,かなりあたふたとした英語Tの立ちあげだったのですが,ほかの教師たちの熱意もあって,曲がりなりにも93年4月の授業開始に間に合わせることができたのでした.
その後の新カリキュラム
こうして始まった新カリキュラムが,名ばかりの改革でなかったことは,その後,大小さまざまな改変が行われていることからもおわかりいただけるでしょう.たとえば,最初は,場合によっては300人近くの大クラスもあった英語Tですが,クラスとして把握できる最大人数は120名という各教師の声を反映して,いまは最大で120人になっています.また,ネイティヴの先生が教えるEnglish Only Class,さらにリスニング(ビデオ教材)に特化して授業を進めるリスニング・クラスも,その後設置しました.リーダーの教科書については,1年生用にUniverse of English,2年生用にExpanding Universe of Englishを編集・出版しましたが,その後,それぞれ少しずつ内容が改訂され,98年度には1年生用教科書はまったくの新版になり,2000年度には2年生用教科書が同じようにまったくの新版になる予定です.
英語Tのほうは,最初に出版したリーダー教科書のUniverse of Englishが市場でベストセラーになったりと,意外と大きな反響があり,マスコミなどにも取り上げられたので,読者の方々も,ある程度のことはご存じかもしれません.しかし,わたしたちとしては,英語Uも同じように重要な改革だったと思っています.英語Tのほうでは,大人数授業なので,学生はクラスで発言するような機会はほとんどありません.しかし大人数授業があるからこそ,先に図示したような,少人数による英語のそれぞれの技能に焦点を絞った教育が可能になったのです.いまではさまざまな大学で当たり前になってきていますが,学生が英語の授業で取りたい内容の授業を選べるような体制をわたしたちが作ったのも,そうした背景があったからこそできたのです.英語Uについては,現在ではさらにチョイスが増え,Lというリスニングだけに特化したクラスも設置されています.
再び「教養の英語」か「実用の英語」か
大学の英語教育の大人数化と少人数化.大学をめぐる環境を考え,わたしたちはこの両極を与えられた条件の中で最善と考えられる方法で組み合わせたカリキュラム改革を行いました.大人数授業は,しかし,これからたとえばコンピュータを大胆に導入したいわゆるCAIシステムを用いた授業などへと推移していくのでしょうか?教師はモニターを眺めるだけで,いずれは必要のない存在へとなっていくのでしょうか?
「大学は語学学校ではない」というのが,わたしたちの共通の理解です.この断言には,大学が置かれた人的状況から,語学学校になれないという側面が含まれていることは否定できませんが,語学学校になるべきではない,という強い信念もまたそこには込められています.前回触れた,「教養の英語」か「実用の英語」か,という問いに戻るならば,英語Uは「実用の英語」に向かって開かれた授業形態であるといえるでしょう.では,英語Tはどうでしょう?こちらでは,「英語を読む」のではなく,「英語で読む」をモットーにして,共通教材を開発しました.上記2冊の英語T用教科書においては,そのような視点から,文系,理系を問わず,英語で書かれた最先端の思考の結晶が選ばれています.なーんだ,やっぱり「教養の英語」じゃないか,と言われるかもしれません.たしかに,ある一面ではそうかもしれません.しかし,一度手に取ってご覧いただければわかるように,二つの教科書に収録された文章は,基本的には「近代批判」と言ってしまうとややむずかしくなりますが,そういう思想で貫かれたものが多いのです.つまり,いままで当たり前だと思っていたこと,あるいは特に疑問を抱かないで接してきたもの,そういうものが,実は当たり前ではないのではないか,あるいは,疑問を持つべきではないのか,というような知的好奇心を学生に呼びおこすような類のものをわたしたちは積極的に題材として選んだのです.
これまでの「教養の英語」のように,単に知識を得ることではなく,また,与えられた情報を鵜呑みにするのではなく,批判的に受容すること.クリティカル・シンキングという言葉がありますが,大学の英語教育もまた,そうしたクリティカル・シンキングの能力を養う場にならなければならないとわたしたちは考えています.とするなら,現場での教師の役割は大きいと言わざるをえません.教科書に書いてあることをそのまま鵜呑みにするのであれば,コンピュータとモニターがあれば十分です.が,教科書の文章がまずどのような「近代の常識」を批判しているのかを読みとらせ,さらに,それについてさえ,批判することの可能性を示唆すること.そのためには,教師の現場でのパフォーマンスがキィーになるのです.
これまで書いてきたようなことは,単に「世間」を知らない大学教師の世迷い言かもしれません.しかし,わたしたちは,今回の東大の英語教育改革で,いつの時代も有効であるはずのクリティカル・シンキングを養うという教育の一つの理想に,ポストモダンという時代背景にふさわしい方法論を通して,一歩近づいたと考えているのです. |