はじめに
地下鉄や電車など日本の乗りものは,アナウンスが多くてやかましいとよく言われる.まさにそのとおりで,静かな時間を過ごしたい人にとっては,朝夕の乗りものは苦痛になるにちがいない.これに比べて外国の乗りものは静かという定評があった.たとえば,ロンドンの地下鉄.駅名のアナウンスは皆無で,たとえ途中で停車しても沈黙あるのみ.ヨーロッパ出張中の私鉄の社長が,かくあるべきだと感銘を受けて自社の車内放送を少なくした事実は,よく知られている.
ところが,そのロンドンの地下鉄が様変わりしてきた.テープによる車内放送が始まったのは,5,6年前のことであろうか.一例をご報告しておく.‘This station is Chark Farm.Please mind the gap between the train and the platform.This train terminates at Edgeware.The next station is Belsize Park.’上に示したのはNorthern Line であるが,このように懇切ていねいな説明が行われるようになった.
これは急増する観光客向けとの説もあるが,イギリス人の間では案外評判がいいようだ.これまであまりにも不親切であったことへの反省があるのかもしれない.また,BGMを流すファーストフード店もお目見えした.イギリスの「日本化」と言う人もあるが,どうだろうか.
英語の変化
私が最初にイギリスに渡ったのは1974年であった.1ポンドが750円というはるか昔の話である.それから4半世紀をへた今,イギリスの社会のみならず,英語自体にも少なからぬ変化が認められるようになった.まず,3つの例を考えることにしよう.
1)
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A:Thank you very much.
B: .
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Aの感謝のことばに対してBはどのように答えるのか.30年以上前の教室では,アメリカ英語ではYou're welcome.と言うのに対して,イギリス英語ではNot at all.と答えると教わった.1970年に発行された『岩波英和大辞典』の初版では,welcomeの項目に「You are (quite) welcome.((米))(お礼の言葉に対して)どう致しまして((英))ではNot at all.」との記述がある.しかし,2001年の時点では,少なくともイングランド南部においてNot at all.を聞くことはきわめて稀であり,かつてはアメリカ英語と刻印を押されたYou're welcome.が,日常的に使用される表現として標準化している.
次の例は
2)
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Everyone was having tea.
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における下線部の問題.私がかつて教わった文法では,Everyone was having his tea.であった.いわゆる「男性総称」の用法であり,男性が男性と女性の「総称」と考えられていた.しかしながら,この用法は現在では容認されることなく,hisはhis or her, さらには複数形のtheirが一般化しており,標準的な辞書も‘Has everyone finished their drinks?’(Longman Dictionary of Contemporary English,19953)の例を掲げている.この例が示すように,‘he bias’を避けるのは近年の英語の顕著な特徴である.
最後の例は質問に対する応答である.
3)
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A:What is London's second airport called?
B: .
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答えはGatwick.ただし,この設問のポイントはこの語の発音にある.これを[ ]と発音するのがふつうであるとされているが,『啓林』前号の拙稿でふれたように,最近では[ t ]を声門閉鎖音,つまり[ ]と発音するのが最近の傾向であるという.このように語中および語尾の[ t ]を[ ]と発音するのは,ロンドン下町のコックニーに認められる特徴と目されてきたが,最近ではテムズ川の河口域を中心とするイングランドにおいて広く認められるようになってきた.したがって,3)の設問を用いて無意識に発音された[ t ]の実現の仕方をチェックすると,話者が最近の発音を用いているかどうかを確かめることができよう.
語彙のレベル
上の 1)〜3)は発音,語彙ないし文法のレベルにおける,英語の最近の変化の一端を示すものである.言語変化の中でもっとも明確に意識されるのが語彙のレベルであり,変化の速度がきわめて遅いのが文法のレベルであろう.以下,語彙および発音に関して最近の傾向を略述しておこう.上掲の 2)に関して‘he bias’を避ける傾向を指摘しておいたが,近年の英語の語彙は性別および民族等に関する民主化への指向性をもつといってよい.Man is mortal.など「男性総称」の象徴であるmanという語の頻度は,近年では著しく低下したはずである.「人間」という意味ではmanを避けて,human beings,human race,humankind,peopleなどを用い,chairman,salesman ,spokesmanなど-manという要素は,-personにとって代わられつつある.
かつて私が愛用した Pocket Oxford Dictionary(第4版[1942],1959)では,manの第1語義は‘human being,person,one,the human race’であり,‘Man is mortal.’が例文として掲げられているのに対して,最近発行された第9版(2001)では,‘human beings in general’は第4語義に後退し,語法欄には‘Many people now think that the use of the word man to mean “human beings in general”is outdated or sexist’と説明がある.これではこの語義は廃用になったも同然ではないか.この辞書では接尾辞の-manについても‘outdated and sexist’と説明する.
1995年に出版されたThe New Testa-ment and Psalms: An Inclusive Versionでは,‘Our Father-Mother in heaven,hallowed by your name’のごとく,聖書の英語訳において性別を明示する語を避けるために男性と女性を併記するか,あるいはsonの代わりにchildを用いるなど,中立の語を一貫して採用したのは,語彙の性的民主化の具体例といってよい.こうした試みがその他の散文にも広がるかどうか,将来の英語表現の変化を見る上で注目に値する.
人種に関する民主化の一例として卑近な例を引いておく.[white coffee]: For obvious reasons,orders should be given for coffee with milk; for [black coffee] order coffee without milk.これはNigel Rees,The Politically Correct Phrasebook(1993)に挙げられている例である.本書はイギリスで出版されたものであり,本年の春出版された『ジーニアス英和大辞典』にもwhiteの項目で‘((PC))(coffee)with milk’と記述があるが,私の観察したかぎりにおいては,現在もイギリス南部においてcoffeeに関してwhite,blackという語は日常的に用いられており,とくに問題はなさそうだ.現段階では,これはとくに差別語に敏感な人たちが意識する語と考えておいてよかろう.
発音のレベル
ここ2,30年における発音の変化の重要なものにかぎって例示しておこう.母音に関しては[ ],[ ]および[ ]が代表的なものである.[ ]については,1970年代の標準英語(Received Pronunciation)においてすでに[ ]に標準化したと考えられるが,John C. WellsはLongman Pronunciation Dictionaryの第2版(2000)でpoorの発音にふれて,‘Poll panel preferences: Br E 1988 p 57%,p 43%;Br E 1998,those born since 1973 p 82%,p 18%’と述べている.
[o ]は現在でも多くの英和辞典が採用しているが,この二重母音はすでに[ ]に移って標準化した.[o]はすでに1975年において音声学者が「完全に時代遅れ」と評価した音であった.英和辞典の発音表記は,今なお保守的な発音を採用する方針なのだろうか. [ ]についてはかつてより狭い[ ]さらには[e]が好んで採用されたが,最近ではより広い異音[a]へ向かう傾向が強い.Peter RoachによるEnglish Pronouncing Dictionaryの改訂15版(1997)の序文では,‘The quality of this vowel is now more open than it used to be,and the symbol /a/ might one day be considered preferable.’と述べられている.[ ]に代わって[a]が採用される日が来るのであろうか.
子音の変化については,前号で言及した音に限定しておこう.3)のGatwickを例にとってすでに述べたとおり,最近では語中および語尾の[ t ]は声門閉鎖音[ ]になる傾向にある.BBCをはじめとするイギリスの放送局の英語においても,[ ]と発音されることは珍しいことではない,Jean AitchisonはLinguistics: An Introduction(1995)の中で,‘At the rate at which it seems to be spreading,[ p ],[ t ] and [ k ] may have disappeared from the end of British English words by the middle of the next century.’と予言する.これは声門閉鎖音から一歩進んで,将来,語尾の[ t ]が脱落する可能性を示唆したものである.
おわりに
最近の約30年間でエリザベス女王の発音が変わってきた,との興味ぶかい報告がある.女王は1952年に即位したが,その後80年代までのクリスマスメッセージにおける母音を分析したオーストラリアの学者によれば,女王の発音は庶民化の傾向があるという.すなわち,調査対象となった11の母音のうち5つの母音で顕著な変化が認められると述べて,その中には80年代の「標準南部アクセント」に影響を受けたものがあり,そのアクセントは若く「低位の社会階層」の話者と関連をもつと結論づけている.
日本でこの研究を報じた共同通信の記事「英女王 発音が庶民化」(『京都新聞』2000年12月22日夕刊)は,女王の発音の変化は「(親しみぶかさを印象づけるために)意図的なものではないか」とのPeter Roachの見解を紹介している.
がしかし,その根底には標準英語自体の変化があるのではないだろうか.かつてのイギリスの中産階級は,マナーとか習慣のお手本を上流階級に求め,よきアクセントは立身出世の必要条件にほかならなかった.これに対して,最近では中産階級の関心はむしろ「低位の社会階層」に向けられている.現在では,‘posh’な英語よりも‘down-to-earth’な英語が求められる傾向にあると言ってよい.
Simon ElmesはThe Routes of English(2000)の中で,‘Today“Advanced Received Pronunciation”is broadly seen as undesirable,and amongst many young people it is a social handicap.’と断言している.標準英語が「社会的な障害」になると誰が予想しただろうか.英語の変容は変わりゆく英国の象徴でもある.
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