6年
実物を基本に,五感でわかる理科学習をめざして            
〜「ブタの肺の観察」の実践〜              
三重県松阪市立第三小学校
岩井 律光

1.はじめに

 三重県松阪市は,牛肉の名産地として全国に名を知られている。有名なブランドを身近な所に持ちながらも,子どもたちが日常,スーパーなどの売り場で接しているのは,商品としての牛肉や豚肉である。「食」教育についても,今,様々な取り組みが行われるようになってきたが,その生産現場については,ほとんど何も知らないで過ごしている。

 先日,「いのちの食べ方」という,オーストリアのドキュメンタリー映画を見た。飼育や解体の現場は,今やベルトコンベアーである。私自身,分かったつもりでいて,実は自分は何も知らなかったのだということが,よく分かった。初めて見る映像に驚きの連続だった。出てきた時には,我々の目にふれる「商品」となっているが,現場の人々はその過程に,日々向き合っている。食生産の現場の情報が目に触れないようにふたをしてしまっている我々は,科学的なものの見方や,いのちあるものの真の姿にまでも,知らず知らずのうちに目を閉ざしている状況がありはしないだろうか。

 最近の日本映画では,「ブタがいた教室」というのが話題になった。あの900日に及ぶいのちの授業とは,いのちの実物に向き合わせるという大切な意味があったのだと思う。

 このレポートは,私が前任校のてい水小学校で実践した,小さな授業の試みである。


2.科学的なものの見方を育てるために

 この授業実践を発表した,松阪市教育研究会理科教育部会の研究テーマは,「一人ひとりが意欲を持って取り組む理科学習の創造〜科学的なものの見方を育てるために〜」である。昨今,「理科離れ」が取り沙汰され,サイエンス・ショーがもてはやされているが,子どもの好奇心は今も昔も変わりなく旺盛である。単に「不思議な現象」で興味を引くのでなく,真に科学的なものの見方を育て,自ら探求していく子どもを育てていくために,部会では次の2点に重点を置き,小・中学校合同で授業実践を交流してきた。

 まず第1点は,できる限り子どもたちが実物に接する機会をつくることである。最近は,火を怖がってマッチが擦れない子や,土を汚がる子が増えている。これは,理科離れではなく,生活体験不足に他ならない。私たちは,生活の多くの部分を,原理も知らないまま,便利で能率的な,様々なブラックボックスに依拠するようになった。居ながらにして,簡単にバーチャル体験を提供してもらえる時代になった。しかしその分,基本的な理科体験が奪われていないだろうか。魚をつかんだ時,手に感じるいのちの躍動。死んだ小鳥を抱いた時の体の固さ。煌めくオリオンに見とれている時の,耳を凍らせるような風。実物に接して初めて五感に刻んだ,そういう実体験こそ,科学する者の大切な感覚を培っていくのだと思う。

 第2点は,子どもたちに議論させることである。友だちの意見を聞いて,自分の考えが変わっていくことほど面白いことはない。「確かに,そう言われれば,そうやな。」議論の中から,そんなつぶやきが出ればしめたもの。理科の醍醐味を味わわせるには,実験や観察に至るまでのプロセスを,どう演出するかが決め手になってくると思う。


3.この授業でねらったもの

 第6学年では,ヒトをはじめとする脊椎動物の体の仕組みとその働きについて,学習する。呼吸器系の学習の中では,肺を取り上げる。多くの児童にとって,実物に接する機会の少ない内蔵については,教科書の記述や挿し絵,インターネット情報等の情報が,イメージ形成の材料となる。しかし,これらの情報だけでは,その表現による印象や,受け手の解釈によって,様々なイメージの違いが生じる可能性もある。

 例えば,「肺胞は風船のようなもので,膨らんだ状態の時に突っつくと,パン!と割れて,全体がしぼむ。」と思っている児童は多い。また,「ヒトや動物は,酸素を吸って二酸化炭素を吐き出す。」と,習った言葉のままのイメージで,自分の吐く息はすべて二酸化炭素だと思い込んでいる児童も少なくない。

 児童の自然認識を深め,真理を探究する態度や,いのちを慈しむ心の成長を支援するためには,まず実物に出会わせることが原点であると思う。そして,その出会いが豊かなものになるような感動の場面を,授業の中に仕組んでいくことが,児童の科学への思いを,きっと芽吹かせることにつながると思う。

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啓林館「わくわく理科 6上」 24〜25ページの挿し絵


4.授業の実際

(1) 授業前の準備
1 ブタの肺の手配
 

 授業の2〜3週間前から,地元の食肉センター内にある,臓器センターにお願いして,ブタの肺を分けていただいた。遅くとも,授業の数日前までには,目的を話して,必要な数量を頼んでおかなければならない。ブタの肺は,ほとんど食用にされないので商品価値がなく,無料で分けていただける。

 但し,近年は解体も手作業ではなく,機械処理を導入したということで,あらかじめ目的をきちんと話しておいて特別に準備していただかないと,切れ切れに分断されて,気管―気管支―左右肺と,つながった形では分けてもらえないかも知れない。また,仮に完全な形でつながっていても,解体の時に刃が当たって傷ついている可能性もある。肺は新鮮なうちに観察させたいが,点検や下処理が必要なので,授業の前日ぐらいに受け取りに行けるようにしておく。

 肺をいただいたら,持ち帰ってすぐ,充分に点検をし,授業に使う部位を,授業者自身がきちんと位置と構造を把握しておく。さらに,授業後の適切な処分の仕方も,あらかじめ考えておかなければいけない。

 今回の場合は,食肉センターのご好意で,「先生,肺の勉強なら,心臓もセットで教えたった方がええんとちがうか。心臓もつけといたったで,授業がんばってや。」と,特別に心臓もつけたまま2頭分用意して下さり,ありがたかった。


2 肺の下処理
 

 分けていただいたままの肺は,多くの血管や,内臓を包んでいる膜状のものがたくさんついており,血糊もかなり多いので,臓器の構造や色を見やすくするためには,そういったものを取り除く下処理が必要である。

 水洗して,上記の余分な部分をはさみで切り落とし,授業で見せたい部分を見やすくする。その際,大切な部分を傷つけないように注意する。下処理が終わったら,クーラーに氷を入れて保管する。


3 観察用具の準備
 
使い捨ての薄手ゴム手袋(ホームセンター等で,50〜100枚単位で販売)
ゴムホース1m程度(片方の端近くに,マジックで印を付けておく)
解剖用バット(大) はさみ 竹串

(2) 授業にあたって留意したこと
1 観察前(肺を取り出す前)に,必ず児童に話すこと
 
今日の学習課題は何か(ブタの肺を使って,肺の仕組みや働きを学習する。)。
解体の仕事をしている人々の協力や,この学習に寄せていただいている思い。
ひとつのいのちのおかげで,この大切な授業ができること。

2 観察中に,必ず児童に話すこと
 
初めて目の前で見た印象を聞いてみる。
気管,気管支,肺など,各部位を示しながら仕組みと働きを説明する。
私たちの体の中にも,少し小さいが,これとほとんど同じ形の肺があること。

3 観察後に,必ず児童に話すこと
 
私たちの体にある肺は,このように見事な仕組みを持ち,私たちが生まれた時から今まで,休みなくずっと働き続けてくれていること。
今日の学習で分かったことや感じたことを,今日のうちに書き留めておくこと。

(3) 本時の活動
1 目標
 
ブタの肺の観察を通して,肺の仕組みと働きについての理解を深める。
いのちの仕組みのすばらしさを感じることができる。

2 展開
 
導入「はじめの話」
 

 今日の課題,解体の仕事をしている人たちの協力・思い,いのちへの感謝

観察1「くらべてみよう
   気管と食道,どっちがどっち? さわってみよう
観察2「肺をよく見てみよう」
   肺の外見,各部の説明,心臓との関係,さわってみよう

観察3「吐く息で肺をふくらませてみよう」

   こんなにふくらむ! 酸素をもらってピンク色に変わる!
観察4「割れない肺」
 

 ふくらませた肺を突いたり切ったりしても,割れない! 切り口は?

観察5「心臓の中はどうなっている」
   左心室の壁は,こんなに厚い!
まとめ「終わりの話」
   私たちの体の仕組みのすばらしさ

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児童の観察カード


5.授業を振り返って

<児童の日記から>

 きょう,私はブタの肺をはじめて見ました。先生がはこから出した時,わたしはとても,どきっとしました。気管にさわってみたら,プラスチックみたいにかたかったです。でも食道はやわらかくてぷにゅぷにゅでした。

 先生がホースを気管にさしこんで息をふきこむと,肺は2倍ぐらいにふくらんで,みるみるピンク色になって,私はびっくりしました。あんなにきれいな色にかわって,私はびっくりしました。先生のはく息の中の酸素をもらって,血が元気になった色なんだと先生が言っていて,私はすごいなと思いました。ブタの命はもうなくなっているけど,体のしくみは残っていて生き続けているのかと思いました。

 肺がぱんぱんになっていて,先生がいきなりはりでついたので,びっくりしたけど,われませんでした。こんなのが私の体の中にもあって,私が知らないうちにはたらいてくれているんだなあと思いました。ブタの肺を見せてもらって,よかったです。


 この「ブタの肺の観察」の授業は,実際のブタの肺を使って行う。児童たちは,初めて見る内臓の姿に驚き,中には気分が悪くなる子どももいた。しかし,それも実物の持つ圧倒的な迫力なのだと,私は思う。「あっ!」と驚く場面が,次々に展開し始めると,児童たちの眼差しは,食い入るように真剣そのものになった。

 「先生,さわってもええ?」

 「食道はぷにぷにしとるけど,気管は固いんやな。」

 「うわあ,すごくふくらんだ!」

 「きれいなピンク色に変わったよ。」

 あとは私が何も言わなくても,児童たちは実物を前に,五感を精一杯に働かせて,ブタの肺の姿を受けとめようとしていた。視覚的にはVTR教材を使う方法もあり,理解の助けにはなるが,こうして実物を五感で感じ取る効果に勝るものはないだろう。

 「先生,さっき目,真剣やったで。」

 児童たちは,ブタの肺を扱う指導者の表情まで,見逃さなかった。


 この教材は,かつて理科教育部会の先達,竹内基博先生が,部会の中で初めて私たちに紹介して下さり,私に大きな感動を与えて下さったことが出発点になっている。

 竹内先生,そして,ブタの臓器を提供して下さり,親身にご協力いただいた松阪食肉センターの皆様に,改めて感謝の思いを捧げる。


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