授業実践記録
行列式および Trace の性質について
和歌山県立桐蔭高等学校
中本 拓
 
1.はじめに

 私の勤務する桐蔭高等学校は,3学年320名のうち現浪合わせて約250名(昨年度)が国公立大学に合格する,いわゆる進学校である。また,医学部や東大・京大などの難関大学に合格する生徒も年々増加傾向にある。詳しくは,本校のホームページを参照されたい。
 難関大学を受験する生徒は,より高いレベルの数学を求めているが,平素の授業では,彼らに照準を合わせることは許されない。それは,大多数の生徒の犠牲を意味するからだ。
 そのため,彼らは自力で様々な問題を解こうとするが,問題の本質や体系的な理解に到達することは少ない。とりあえず答えは求まるが,その目的・意義が分からないことも多い。すなわち,共通する本質に気付かないまま,多くの問題を闇雲に解いていくことになり,不毛な努力を強いられることになる。
 また,大学入試では,大学数学の内容を受験問題化したものが数多く見受けられる。それらには,必ず目的や意義が存在する。その本質を教えることができれば,効率的な学習が可能になることはもちろん,数学的な本質に対する理解・興味を深めることに繋がる。結果,生徒の大学進学後の勉学にも寄与することになろう。
 そこで,授業では扱う余裕のない発展的な事項について,プリント等を配布することにしている。その1つについて,紹介させていただきたい。

 
2.行列式の性質

 2次の正方行列 に対して,adbcA行列式(determinant)といい,det(A)で表す。det(A)のことを Δ (A) や |A| と表すことも多い。A, B, P を2次の正方行列とするとき,以下のことが成り立つ。

(i) det(AB)=det(A) det(B)

(ii) det(AB)=det(BA)

(iii) det (An )=( det(A))n

(iv) A が逆行列を持つとき,

(v) det(P)≠0 のとき,det( P -1AP )=det (A)

(vi) det( kA )= k2det (A)


 (i) の証明については,教科書の演習問題等で扱われることが多い。
 , とすると,であるから,

det(AB) =(ap+br)(cq+ds)−(aq+bs)(cp+dr)
=(acpq+adps+bcqr+bdrs)−(acpq+adqr+bcps+bdrs)
=ad(psqr)−bc(psqr )=(adbc)(psqr)=det(A)det(B)

となる。
 (ii) は,det(AB)=det(A)det(B)=det(B)det(A)=det (BA) より得られる。
 (iii) は,det(A2)=det(A)det(A)=(det(A))2 等より,帰納的に証明される。
 (iv) は,1=det(E)=det(AA-1)=det(A)det(A-1) より示せる。
 (v) は,(ii) より det((P -1A)P)=det(P(P -1A))=det(A) となることから得られる。
 (vi) については,2次の正方行列の場合にしか成立しない。よく det(kA)=k det(A)と誤った計算をしやすいので,気をつける必要がある。なお,An 次の正方行列のとき,det(kA)= kndet(A) となることが知られている。

 
3.trace の性質

 次に,trace の性質について述べる。2次の正方行列 に対して,Tr(A)=a+dA の trace という。A, B, P を2次の正方行列とするとき,以下のことが成り立つ。

(i) Tr(A+B)=Tr(A)+Tr(B)

(ii) Tr(kA)= kTr(A)

(iii) Tr(AB)=Tr(BA)

(iv) det(P)≠0 のとき,Tr(P -1AP)=Tr (A)

(v) A2−Tr(A)A+det(A)E =O

(vi) Tr(A2)−(Tr(A))2+2det(A)=0

 性質 (i) , (ii) は明らかであろう。
 性質 (iii) について示そう。
 , とおくと,, となるから,
  Tr(AB)=ap+br+cq+ds=Tr(BA)
となる。
 また,性質 (iv) は性質 (iii) より,行列式のときの証明と同様に
  Tr(P -1AP)=Tr((P -1A)P)=(Tr(P(P -1A))=Tr(A)
と示せる。det(P -1AP)=det(A) と並んで,対角化の際の検算に用いるとよい。
 性質 (v) は Cayley-Hamilton の方程式 A2−(a+d)A+(adbc)E =O である。
 性質 (vi) について示そう。A2−Tr(A)A+det(A)E =O において,両辺の trace をとると,
  Tr(A2−Tr(A)A+det(A)E)=Tr(O)
が得られる。ここで性質 (i) より
  Tr(A2)−Tr(Tr(A)A) + Tr(det(A)E)=0
また,(ii) より,
  Tr(Tr(A)A)=Tr(A)Tr(A)= ( Tr(A))2
  Tr(det(A)E) = det(A) Tr(E)=2det(A)
が成立しているから,
  Tr(A2)−(Tr(A))2+2det(A)=0
である。
 これらの性質については,先程の行列式の性質と並んで,大学入試で出題されることが多い。具体的な問題で眺めてみることにする。

 
4.入試問題での利用例

例題1.
に対して,| D |=adbc , [D] =a+d とおく。
のとき,以下の問いに答えよ。
(1) | A2| を求めよ。
(2) A2−[A] A+| A | E を求めよ。ただし,E は単位行列である。

[1998年度 創価大]

 | D |はdet(D), [D] はTr(D) を表している。A に対しては,| A | =−26, [A]=1 である。
 (1) であるが,A2 を計算する必要はない。det(A2)= det(A)2 であるから,
 | A2 | = | A |2 =(−26)2 である。
 (2) は性質 (v) である。
  次の例題も,trace の性質をモチーフにしたものである。

例題2.
2次正方行列 a, b, c, d は実数)に対して,実数 f (A) をf (A)=a+d と定義する。これについて性質
   f (A±B ) =f (Af (B)(複号同順)
は証明なしで使ってよい。

(1) 2次正方行列 A, B に対して,f (AB) =f (BA) を証明せよ。
(2) 2次正方行列 P, QP=PQQP を満たしているとする。このとき,f (P)=0 を証明せよ。
(3) (2)の P に対して,f (P2) =0 を証明せよ。
(4) (2)のP に対して, を証明せよ。

[2001年度 千葉大]

 f (A)=Tr(A) である。
 (1) は性質 (i) の証明である。
 (2) は,Tr(P) = Tr(PQ)−Tr(QP)=0 より得られる。
 (3) は,P 2= P(PQQP) =P 2QPQP から,
       Tr(P 2)=Tr(P 2Q )−Tr((PQ)P)=Tr(P 2Q )−Tr(P 2Q )=0
とすればよい。
 (4)について考える。性質 (vi) を行列 P に適用すると
       Tr(P 2)−(Tr(P))2 +2det(P) = 0
 また,仮定よりTr(P 2)= Tr(P)=0 であるから,上式よりdet(P)=0 である。
 一方,Cayley-Hamilton の方程式
       P 2−Tr(P) P+det(P)E =O
を利用すると,
       P 2=Tr(P) P−det(P)E =O
となることがわかる。

例題3.
2次の正方行列 に対して,T(A)=a+d , Δ(A)=adbc とおく。また,とおく。

(1) 行列 , に対して,Δ(XY) =Δ(X)Δ(Y) が成立することを示せ。
(2) T (A2) を,T(A)とΔ(A)を用いて表せ。
(3) A Δ(A)=1 かつ A4=E を満たすとする。T(A) の値をすべて求めよ

[1998年度 富山医薬大]

 T(A)=Tr(A), Δ(A)=det(A) を表している。
 (1) は行列式の性質 (i) である。
 (2) はtraceの性質 (vi) から,Tr(A2)=(Tr(A))2−2det(A) より得られる。
 (3)については,これらの組み合わせでできる。性質(vi)を行列 A2 に対して適用すると,
       Tr(A4)−(Tr(A2))2+2det(A2)=0…[1]
である。
 [1] の各項について考える。
 A4=E より,Tr(A4)=2である。
 det(A)=1より,det(A2)=det(A)2 =1 である。
 よって [1] より,Tr(A2))2=4 すなわち,Tr(A2)=±2 となる。
 性質 (vi) を再び用いる。(Tr(A))2=Tr(A2)+2det(A) であるから,
  (Tr(A))2=0, 4
 よって,Tr(A)=0, ±2 となる。

 先程,Tr の持つ性質
   (i) Tr(A+B)=Tr(A) + Tr(B)
   (ii) Tr(kA)= kTr (A)
   (iii) Tr(AB)=Tr (BA)
について述べた。逆に,2次の正方行列から実数全体への関数f
   (i' ) f (A+B) = f (A)+f (B)
   (ii' ) f (kA) = kf (A)
   (iii' ) f (AB) = f (BA)
を満たすならば,f (A) = αTr (A) (αは定数)と表されることがわかる。
 次の例題をもとに,実際に示してみよう。

例題4.
2次の正方行列 X を定めると,それに対応して実数 f (X) がただ1つ定まり,次の条件 (a), (b), (c) を満たすとする。

(a) 任意の実数 k と,任意の2次の正方行列 A, B に対して,
  f (kA)=kf (A) , f (A+B)=f (A)+f (B)
(b) 任意の2次の正方行列 A, B に対して,
  f (AB)=f (BA)
(c) 単位行列 に対して,f (E)=1 である。

, , , とするとき,
(1) 零行列 に対して,f (O)=0 を示せ。
(2) PQ, QP を求めよ。
(3) f (P), f (Q), f (R) , f (S) を求めよ。
(4) に対して,f (A) を求めよ。ただし,a, b, c, d は実数とする。

[2006年度 富山大・医]

 (1)について,性質(i' )から
       f (O)=f (O+O)=f (O)+f (O)
より,f (O)=2f (O) であるから,f (O)=0 である。
 一般的に f (A+B)=f (A)+f (B) が成立する関数に対しては,f (O)=0 が成立する。
 (2), (3)について考える。
 性質 (iii' ) f (AB)=f (BA) よりf (P), f (Q), f (R) , f (S) を求めることができる。
 P, Q, R, S の相互の積について考えると,PQ=Q, QP =O より,f (PQ) = f (Q),
f (QP)=f (O) である。f (PQ)=f (QP) であるから,f (Q)=f (O) である。

 また,P, Q, R, S の相互の乗積表を作ると,下表のようになる。(XY の値を記している。)

 この表から,f (PR)=f (RP) より f (R)=f (O), f (QR)=f (RQ) よりf (P)= f (S) となる。
 以上より,性質 (iii' ) 単独で,f (Q)= f (R)=f (O), f (P)= f (S) が導けることがわかる。
 次に f (A) を具体化する。
 f (P)=f (S)=α とおく。 (1) よりf (O)=0 だから,f (Q)=f (R)=0 である。

 任意の は,行列 P, Q, R, S を用いてA=aP+bQ+cR+dS と分解される。
 性質 (ii' ) より,f (A)=af (P)+bf (Q)+cf (R)+df (S) となるから,
f (P)=f (S)=αf (Q)=f (R)=0 より
       f (A)=(a+d )α= αTr(A)
と表されることがわかる。
 αの値は,条件(c):f (E)=1 より確定し, である。
したがって, となることがわかる。

 
5.おわりに

 このように,行列式や Trace を題材にした問題は毎年のように出題されている。他の分野でも大学数学を題材とした出題は多い。私は,これらを大学側からのメッセージと考えている。
 大学入試問題の演習を,「ただ解ければよい」という,いわゆる偏差値至上主義の視点で見るのではなく,より高度な数学に対する展望を与える機会と捉え,このような教材を作成している。
 また,このような教材のおかげで,普段の授業では標準的なレベルに徹することができ,中堅国公立大などを目指す生徒や,数学の苦手な生徒にも照準を合わせることができた。
 今後も,発展的な教材を作成していきたいと思う。