実践研究 生物
“人の行動”を扱おう
東京都立町田高等学校
市 石   博

1.人の行動を扱おう

 生物IBでは動物の行動は,生得的行動の走性や本能行動,学習による行動として刷込みや試行錯誤学習,知能による行動が扱われている.生物IAでは「ヒトの行動」という項目があるが,内容的には生物IBと大差がなく,乳児期の反射的行動が扱われている程度である.
 動物の行動は内容的にもわかりやすく,動物学のおもしろさを伝えるのには好適な材料であると思われるが,ややもすると動物のある意味では単純な愚かさを強調するのではないかとの危惧がある.動物の行動を扱うときに,我々ヒトの行動も視野に入れると,ヒトも動物のある意味で延長線上にあり,それを客観的にみることのおもしろさと大切さを知る機会となり,生徒にとって身近な問題として認識されるのではないだろうか.

2.「パーソナルスペース」を材料に

 ヒトの行動といっても多岐にわたり,何からアプローチしていいのか難しい問題であろう.私は心理学で使われている「パーソナルスペース」の概念をいつも材料として使っている.
 夏の海辺に寝転がる人々は,隣の他者とある一定の空間をあけている.すいている電車の中では,人々は座席の両端や真ん中に他者と距離をおいて座っている(この様子はビデオを見せている).一般にヒトは他者と一定の距離をとり,自分自身で占有する空間を持とうとする.このような空間を「パーソナルスペース」と呼んでいる.このような概念をつかんでもらうため,下記の図1のようないくつかのパターンを用意し,生徒に各条件の時にどの座席に座るかを記入させる.そしてなぜその座席に座るかを考えてもらう.


図1 パーソナルスペースを調べよう(1)

 次に各々がどの席に座ったか手をあげさせると,座席に誰もいない場合では両端や真ん中,誰かが座っている場合はその人と距離をあけるよう座席を得ようとする行動が明白に数字として出てくる(この際,例外があることも強調しておく.その時の気分でも変わり,自分の行動が異常であると思わせないよう配慮する).そこでパーソナルスペースの概念について説明し,それがどのような場面で見られるかを考えさせる.
 時間がある場合は,少し広い空間に被験者に立ってもらい,四方八方より順番にヒトに接近してもらい,被験者がこれ以上近づいてもらいたくないところで手をあげ合図をしてもらう(図2).近づいていく人が友人だとこの輪は小さく,よく知らない人だとこの輪は大きくなることがわかる.


図2 パーソナルスペースを調べよう(2)

 パーソナルスペースを普段我々はあまり意識しないが,適切なVTRを見せると,この「携帯用のなわばり」を生徒は自分自身や他人の行動と重ね合わせて再確認する.この学習が終わった後,生徒は日常生活の中で発見した「パーソナルスペース」の事例を報告してくれる.

3.「しぐさ」を材料に 

 ヒトが日常生活の中で見せる「しぐさ」は心を写す鏡である.樹上の小鳥をねらって捕り損なったネコが,突然舌で毛づくろいを始める.私たちは動物たちを少し見下した存在として見ているが,ヒトも発車寸前の電車に飛び乗ろうとして,すんでの所でドアがしまれば,心の動揺を隠そうと視線を意味のない方向に走らせる.
 二足歩行を行うことができた私たちヒトは,そのことによって自由になった手や指で少なくとも3,000の身振りを行うことができると言われている.私たちが手を使って行うしぐさとその意味について生徒に考えさせてみるといい.手のひらを相手に見せ左右にふるしぐさが「さようなら」を示すことや,指で作るOKマークやピースサインなどが事例としてあがるだろう.
 この身振りや手振りはどのような効果があるのだろうか.これらを大げさに使う典型的な職業は政治家である.自らの主張をより明確に伝えようとさまざまな身振り・手振りを駆使する.強調したいことを述べている時は拳を握り見えない挑戦者を叩きのめそうとし,要点では大切そうに親指と人差し指でつまむ動作をする.
 このようにコミュニケーションの場においてお互いに気持ちを伝え合うのがしぐさであるが,これらは歴史や文化の背景をもっているので万国共通とはいかない.このことはピ−ター・コレット著の『ヨーロッパ人の奇妙なしぐさ』(草思社)に興味深く書いてあるのでぜひご一読願いたい.その中にある話をひとつ紹介すると,手のひらを開いて相手に見せる動作は一般的には「止まれ」を意味するが,ギリシアではこれは「ムーザ」と呼ばれる動作で,相手を侮蔑するしぐさであるそうである.これはかつて市内を引き回された囚人たちに,市民が泥をなすりつけた動作の名残だという.
 このように文化や歴史によって,ひとつの動作がまるで違う意味をもち,無意識のうちに相手に不愉快な思いをさせてしまうこともある.進化の過程で身につけた「行動」が,ヒトでは多種多様な形で表出していることがわかる.

4.まとめ

 授業で実践しているプリントや,生徒に発問していることなどを書きつづってきた.「生物」の授業というと虫や獣や植物の話というイメージを生徒は抱くが,我々ヒトもその生物の一種であり,彼らの延長線上にあることを実感してもらいたく,ヒトを素材に扱うことを試みてきた.個人の持つ携帯用のなわばり(モリス)―パーソナルスペースが集団としてのなわばり,つまり国家や民族レベルとなると,その境界線をめぐってヒトとヒトとが殺し合うことも現在に至るまで人類の長い歴史の中で繰り返されてきた.各々の人間が持っているこのなわばり意識をどう扱えば,無用な争いを回避することができるのだろうか.
 ヒトの行動を扱い,生徒に問いかける中で,ヒトは今後どうその持っている行動様式や特性を生かしながら生きていったらいいのかを共に考えていきたいと思っている.
 また自分自身の行動を少し客観的に見ていくことでより価値の高い行動へと導くことはできないだろうか.簡単には答を見いだせそうにないが,ぜひ皆様方からもご教示をいただきたい.

5.謝辞

 パーソナルスペースについての授業は,平成5年度東京都の教育研究員の中村厚彦先生(現九段高校)・静野哲也先生(現板橋高校)と共同で開発したものである.両先生にここに謝意を表する.

参考文献
渋谷昌三(1990)『人と人との快適距離』日本放送出版協会
ピ−ター・コレット(1996)『ヨーロッパ人の奇妙なしぐさ』草思社
デズモンド・モリス(1980)『マンウォッチング』小学館

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