科学の歩みところどころ
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第1回
大気圧の発見からボイルの法則へ
大阪教育大学教授
森  一夫
枚方市立桜丘北小学校
児島 昌雄
 
自然は真空をきらう

 「空気は重さをもち,圧力を及ぼしている」といえば,今では誰でも「あたりまえではないか」というだろう.だが,これはわずか三百数十年前に誕生した,比較的新しい考えなのである.それ以前の人たちは,「自然は真空をきらう」というアリストテレスの説を後生大事に守って,大気圧によって生じる現象をすべてこの考えで説明しようとしていた.例えば,ふいごの口をふさいで,把手を拡げようとしてもなかなか拡がらないのは,もし拡げられると真空が生じるが,「自然は真空をきらう」から拡がらないのだ,というのである.このような考えでも,当時は,自然現象の精確な観察から論理的に導かれたものだ,とかたく信じられていた.例えば,物体の落下速度は,空気などの媒質の抵抗が大きいほど遅くなるから,媒質の密度に反比例するだろう.もし真空が存在するのならば,その密度は0だから,抵抗は0となり,速さは無限大になる.だが,無限の速さは不可能だから,真空は存在しないことになる,という論法である.もちろん,この議論の誤りは,日常の現象の観察結果を無条件で真空中の運動に適用して,そこでの速さを無限大と認めた点にある.そして何よりも,「自然は真空をきらう」という目的論的な自然観で自然をとらえている限り,自然現象の正しい理論を生むはずはなかったのである.
 
トリチェリの唱えた“空気の海”

 やがてヨーロッパでは,近代市民社会が形成されてゆく過程で,商業資本主義が勃興してきたため,目的論的世界観は合理主義的世界観へと転換を迫られつつあった.そのために,現象のもとになっている原因は何かという点に目を向け,その原因を実験によって明らかにしようとする態度が生まれてきたのである.また,商業技術が著しく発達してくると,実際にアリストテレスの説では説明のつかない現象も数多く現れてきた.
 揚水ポンプの現象がその一例である.この頃,金属の需要の増大によって鉱山業が発達し,鉱坑は地下深くまで掘られるようになってきた.そのため深い所から水を汲み上げる必要が生じたが,約10m以上の深さになるといつもポンプは働かなくなった.井戸掘職人からこの現象を聞いたガリレイは,「自然が真空をきらう」ならば水はいくらでも上がるはずであり,アリストテレスの考えではこうした現象を説明できないことに気づいたのである.そこでガリレイは,上端をつるしたロープや鉄の棒があまり長くなると,それ自身の重みでちぎれてしまうのと同じように,水柱も約10m以上にもなると水自身の重みで切れてしまうのだ,と考えた.そして,自然が真空をきらう抵抗力には限度があり,その力に打ち勝ちさえすれば真空は可能だと推論したのである.
 真空の問題は,ガリレイの弟子トリチェリによって,新たな局面を迎えた.トリチェリは水の13.6倍の密度をもつ水銀を用いて,その上がり得る高さを測定したのである.実験の結果,ガラス管内の水銀は約76cmの高さで止まり,管の上部に“空所”を生じた.この“空所”こそ,今まで誰も見たことのない真空だ,とトリチェリは考えた.しかも,水銀柱が宙に停止する原因を初めて大気の重さに求めたのである.彼はこのことを,次のように表現している.「われわれは,いわば空気の大洋の中にひたって生きている」と.
 トリチェリの実験は人びとの関心の的となり,“空所”をめぐって議論が続出した.当時は,“空所”には希薄な空気が満ちている,などと主張する真空否定論者が多かった.“空所”を真空と認め,水銀が宙に停止する原因を大気の重さに求める説が受け入れられるためには,まだまだ多くの実験と新しい考えが必要であった.その頃,1人の天才が彗星のごとく現われた.その人の名は,ブレーズ・パスカルである.
 
大気圧を証明したパスカル

 パスカルは巧みな実験をして,問題となっている隙間には,知覚し,認識し得るような物質は何一つないと結論を下した.つぎに彼の関心は,水銀が下降して隙間を残す原因はいったい何なのか,という方向に移っていった.内心では,トリチェリの“空気の海”の説に同意していたが,自然学では実験こそが真の師であるという信念をもっていたパスカルは,あらゆる反論にも耐え得る確かな証拠を示そうとして,さまざまな実験を工夫した.その中でも,大気圧の考えを確証づけたのが,次の2つの実験である.1つは“真空中の真空”とよばれている実験だ.J字形とまっすぐな管とを接続したガラス管に水銀を満たして,水銀槽中に倒立させるこの実験は大気圧のかかっている場合と,そうでない場合をものの見事に対照させている.もう1つの実験は“ピュイ・ド・ドームの実験”とよばれている.水銀柱が宙に停止する原因が大気の重さならば,高い山の山頂に置いた水銀柱の高さは,山麓に置いた場合よりも低くなるはずだ.この仮説を検証するために,義兄ペリエに頼んでピュイ・ド・ドーム山で行ったのがこの実験である.
 パスカルは大気圧の問題をより一般化し,流体の平衡の問題として論じた.彼は静止流体の研究を進めて,ガラス管の口から流れ出す水を防ぐのに必要な力は,水の高さにのみ比例することを示した.そして,その力の大きさとして,今でいう全圧力を定義していたのである.また圧力の伝わるしくみを説明しようとして,「流体のある部分に加えられた力は,流体の連続性と流動性のために容器のあらゆる部分にくまなくゆきわたる」という原理を提示している.
 彼はこれらの原理を用いて,水圧器の平衡や,アルキメデスの原理などを説明したのである.こうして,今まで「自然は真空をきらう」と説明されてきた現象を,流体の平衡の理論を用いて,ことごとく大気の重さに帰したのである.
 
ボイルの法則と粒子観

 空気は大気圧を生じるという現象の他に,弾性という性質をもっている.当時,空気に膨張する性質があることは,ぺしゃんこにした魚の浮き袋をトリチェリの“空所”に入れると,ふくらむことなどから知られていた.ボイルは性能のよい空気ポンプを使用して,トリチェリの実験で水銀柱が上昇する原因は,外部の気体の圧力にあること,また空気が弾性をもつことなどを示した.しかし,真空を否定する説は依然として根強く,水銀柱は目に見えない糸(funiculus [フェニキュラス] とよばれていた)によってつるされているといった反論も現れた.
 この批判を反駁するために数々の実験を行ったが,有名な“ボイルの法則”を導いた実験もそのうちの1つである.その実験で,空気を圧縮する場合は,J字管の短いほうの端をふさいで水銀を入れ,左右の水銀柱の高さが等しくなるように空気を出し入れしてから,長い方の管へさらに水銀を注ぎ込む.一方,膨張の場合には,水銀槽に両端の開いた細くて長いガラス管をゆっくり垂直に沈めてゆく.上部に少量の空気を残して上端を封じたのち,そのガラス管を少しずつ引き上げる.どちらの場合も,水銀柱の高さの差から求めた空気の圧力はガラス管内の空気の体積に反比例することが定量的に導かれたのである.
 原子論的自然観が再び勢いを盛り返しつつあった当時,ボイルは空気に弾性のあることを説明するのに,粒子論的な空気モデルを頭に描いていた.つまり,空気を羊毛のような粒子が互いに重なりあったものとみていた.そして,その粒子をバネのように自ら再び伸びようとするものと考えていたのである.
 
江戸時代にもあった空気の概念

 大気圧の概念が生まれるためには,空気が物質であることを,明確に認識する必要があった.実はガリレイと同じ頃,日本にも空気の存在を明らかにした人がいたのである.たくあん漬の考案者(貯え漬がなまったとする説もある)といわれ,また小説『宮本武蔵』では武蔵の師として登場する沢庵和尚がその人である.沢庵は著書『東海夜話』の中で,空気は目に見えないから存在しないように思うが実際にはあるのだと述べ,その証拠として次のような例をあげている.「子供が遊ぶ竹鉄砲では,かんで柔らかくした紙玉を竹の筒の前後に入れて,後の玉を突くと,後の玉が前の玉へ届く前に“はっし”と鳴って前の玉はとび出てゆく.これは,その玉の間には空気が満ちているからだ」.
 この「竹鉄砲」は今では小学校4年の「空気でっぽう」という教材で取り上げられ,子どもたちは空気の伸び縮みを学習している.ボイルが「空気が目に見えないという理由でこれを無視してはいけない」と主張する数十年前に,すでに沢庵和尚がこれを喝破していたのは,なんと興味深いことではないか.