東海大学助教授
菊池 文誠
ドイツレントゲン博物館
Deutsches Roentgen-Museum
ビュルツブルグ大学
Bayerische Julius-Maximilian Universitaet Wuerzburg

ドイツ(2)

ドイツレントゲン博物館
(Deutsches Roentgen-Museum)

所在地:Schwelmer Str.41,D-42897 Remscheid
電話番号:02191‐62759
交  通:ケルンから約1時間,レムシャイト・レンネップ駅下車,
 徒歩約10分
開館時間:火〜金曜 10:00〜16:00
 土,日曜 11:00〜17:00
休館日:月曜
写真撮影:可能
 レントゲンの生誕地のレムシャイト・レンネップはライン川の下流にある小さな町で,中心部は半径数百メートルのほぼ完全な円形の典型的な中世の市街である。
 博物館の内部には3つの建物があり,X線についてのすべてにわたり,基礎から応用まで,また,初期から最近のものまで見事に整理され展示されている。主なものは数十種類におよぶ多様なX線管球,真空ポンプとインダクションコイル,X線発生装置と付属品,シーメンス社およびフィリップス社提供のいろいろな医療用装置(当然ながらこれが一番多い),初期のサイクロトロン,放射線測定機類,自動車1台丸ごとのX線透過写真などがある。

レントゲン博物館

いろいろなX線管球

初期のサイクロトロン
 特に興味深かったのは,いつの頃の物かわからないが,鉛製の防護用マスクがあったことである。これは頭からすっぽり被るもので眼の部分に穴が2つ空いている。放射線に対しては,眼こそ防護しなければならないという現在の常識では伺い知れないことがあったのである。その他の展示としては,X線の基礎的な性質を解説したもの,ラウエおよびデバイシェラーの回折を示したもの,宇宙空間に存在するX線やDNAの二重らせん構造を突き止めた話などが見られた。新しいものではCTスキャナーがある。また,レントゲンの使用していた書斎や居室も復元されている。個人の業績とその発展を展示するタイプの博物館としては第1級の優れたものであり,これまでなぜ日本に余り知られていなかったのかが不思議である。付近に彼の生家もあるが研究用の施設として使われている。博物館の図書などが保管され,一般には公開されていない。

鉛製防護面

X線発見の部屋(復元)
 彼は3歳のときこの地を離れ,オランダに移住している。ユトレヒトの工業学校を経てスイスのチューリッヒ大学で学んだ後,有名な実験物理学者のクント教授の助手としてドイツ中部のビュルツブルグ(Wuerzburg)大学に2年ほど勤務した。その後,各地の大学を転々とし,およそ20年後にコールラウシュ教授の後任の物理学教授としてこの大学に戻っている。そこで1885年X線を発見するのである。

ビュルツブルグ大学
(Bayerische Julius-Maximilian Universitaet Wuerzburg)

所在地:7 Roentgen ring,Wuerzburg
電話番号:071-5801788
交通:ビュルツブルグ中央駅から徒歩約5分
開館時間:特に公開されてはいないが見ることができる。
写真撮影:可能
 ビュルツブルグは古くから(キリスト教の)大司教の支配する都市として栄え,大きな教会や宮殿(レジデンス)があり,町外れには要塞がある。これらから当時の大司教が宗教面だけでなく,すべての面で絶対的権勢をふるっていたことが伺える。また,交通の要衝でドイツ屈指の観光ルートであるロマンチック街道の起点でもあり,落ち着いた美しい町である。中世のドイツ最高の彫刻家といわれるリーメンシュナイダーが市長を勤めたこともある。
 大学は市内中心部に本部があるが,物理学教室の建物は,駅の近くバスターミナルのそばにある。駅前のレントゲン通りを右に進めばすぐである。淡いグリーンの3階建ての2階左端の部屋(外壁に記念のレリーフがある)で1895年11月,陰極線の研究中にX線が発見されたのである。まさに現代物理学(原子物理学)誕生の場所である。
 ここは特に公開されているわけではないが見ることができる。当時の実験室がそのまま保存されている。また,X線発見100周年を期に展示室も増やされ,ホールでは彼の業績を紹介するビデオを見ることができる。英,独,仏語の他,日本語のものもある。ロマンチック街道には大勢の日本人が押しかけるが,目と鼻の先にあるこの場所を知る人はほとんどいない。レントゲンの世話にならない人はいないというのにである。

ビュルツブルグ大学物理学教室

X線発見記念レリーフ

X線発見の部屋
 レントゲンは,その後この大学の学長となり,1901年第1回目のノーベル物理学賞を受けている。レントゲンの墓はフランクフルト北方のギーセンという町にある。そこには化学教育を近代化し,多数の優秀な門下生を輩出した化学者リービッヒの実験室と講義室を保存したリービッヒ博物館がある。
 また,ビュルツブルグゆかりの人物としては,幕末の長崎に住み,日本の近代科学の芽生えに大きな貢献をした医師フォン・シーボルトがいる。彼はこの町で生まれ,ビュルツブルグ大学で医学を学んでいる。シーボルトが持ち帰った日本関係の資料と植物は,博物館の町として知られるオランダのライデンにある国立民俗博物館とライデン大学付属植物園に集められている。


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